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MWA会員の選んだサスペンス ベスト10

No. 作品 著者 出版社
レベッカ ダフネ・デュ・モーリア 新潮文庫
羊たちの沈黙 トマス・ハリス 新潮文庫
レッド・ドラゴン トマス・ハリス ハヤカワ文庫
子供たちはどこにいる メアリ・H・クラーク 新潮文庫
ローラ殺人事件 ヴェラ・キャスパリー 早川書房
狙った獣 マーガレット・ミラー 創元推理文庫
ロウフィールド館の惨劇 ルース・レンデル 角川文庫
ローズマリーの赤ちゃん アイラ・レヴィン ハヤカワ文庫
大時計 ケネス・フィアリング ハヤカワ文庫
10 ブライトン・ロック グレアム・グリーン 早川書房

サスペンス

メアリ・ヒギンズ・クラーク

ウェブスターのニュー・カレッジアット・ディクショナリーの第9版によれば、
サスペンスとは、
  1. 宙ぶらりんの状態、すなわち、はっきりとしたことがわからず、あるいは心が定まらず、もっと知ろうとしている状態。
  2. a 精神的な不安定、あるいは不安。
    b 解決や結果を待ってわくわくすること。
  3. 優柔不断な性質や疑問を抱いている状態。

この説明に尽きるのではないだろうか? 不安定、不安、わくわくすること、心もとなさ、疑問。これこそ、サスペンス小説のサスペンス小説たるゆえんである!
よく、作家としてなぜこの分野を選んだのだろうと思うことがある。ふり返ってみると、わたしはもともとそうなるべく生まれついていたらしい。子供の頃から、わたしは怖いお話を聞いたり話したりするのが大好きだった。ろうそくの灯りは、おとなたちにはあまり歓迎されなかったので、子供たちだけが集まった夜には、部屋の明かりを消して、小さなろうそくを一本だけ灯そうと提案したものだ。それから、怖いお話のコンテストがはじまる。だれがいちばんみんなをぞっとさせることができるかを競うのだ。

わたしの話はたいていこんなふうにして始まった。
「あっ、外にだれかいる! こっちを見てる。ふりかえっちゃだめよ。気づかれるといけないから。窓ごしにのぞいているわ。だれかを殺しに来るつもりなのよ。まあ、メアリー・キャサリン、どうしよう、あなたを指したわ」
わたしはこのゲームがお気に入りだった。
最初に売れたふたつの短編もサスペンスだった。たまたま浮かんだアイデアがその種のものだったのである。だが、わたしの銀行口座にとってはあいにく、それから20年間はサスペンスから遠ざかっていた。そして長編小説を書いてみたいという気がおきたとき、あらためて書棚を見渡して、いつも読んでいたのがこの分野の本だったことに気づいた。そこには、アガサ・クリスティ、サー・アーサー・コナン・ドイル、ジョセフィン・テイ、ナイオ・マーシュ、ダフネ・デュ・モーリア、レックス・スタウト、ジョン・D・マクドナルドなどなどがぎっしり詰まっていたのである。

『ヘンゼルとグレーテル』という童話のなかでは、ふたりの子供が、道に迷わずに森から帰れるようにと丸い小石とパン屑を落としていく。だが、パン屑のほうは鳥が食べてしまう。

サスペンス作家も、手掛かりとひっかけを両方落としておかなければならない。それを見分けるのも、サスペンスを読む大きな楽しみである。その点に関してはかなり目端の利く読者になっていたわたしは、こんどは書き手にまわってうまくいくかどうか試してみることにした。

そこで出てくるのはもちろんこの問題である。プロットをどうするか? わたしは、リンドバーグの子供の誘拐事件の話を聞かされて育った。ブロンクスのシルバー・ビーチの別荘で夏を過ごしている間、セント・レイモンド墓地を通りかかるたびに、父親は花屋の外に置かれたテーブルを指しては言ったものだ。「それから、ほら、あそこにかわいそうな赤ちゃんの身代金を要求するメモが残されていたんだよ」

そんなわけで、ゴールデン・カップルのあいだに生まれた子宝が人にさらわれるという悲劇的な事件は、おとなになっても脳裏に焼きついていた。わたしは、最初のサスペンス小説への試みに、子供の誘拐を取り上げることにした。折りしも、ニューヨークではある裁判が開かれて話題になっていた。美しく年若い母親が、実子ふたりの故殺という冷酷な殺人の罪で起訴されていたのだった。

当時、その話になると、だれもが自分の意見を、それも断固たる意見を口にしたものだ。わたしは小説作法の課程をとっていたときに教授が言っていたことを思い返してみた。「人の心をとらえる、劇的で、印象的な事象をとりあげること。ふたつの点を自問せよ。“こう仮定すれば?”“たとえばこうなったとすれば?”そして、その出来事の核心となる要素を起点とし、物語を展開していくこと」

それまでに、このアドバイスにしたがって数十編の短編を書いていた。したがって、子供の誘拐を題材にした長編小説を書くにあたっても、わたしはこう自問してみた。「もし、ひとりの若い母親がふたりの子供を殺したという身におぼえのない罪で起訴され、有罪とされそうになったら? たとえば、その女性が何らかの法的な不備によって釈放され、世間をはばかってケープ・コッドに移り住み、再婚して新しい生活を始めたとすれば? そしてもし、最初の悲劇から7年後のある日、再婚してできた子供が消えてしまったら?」この設定ならうまくいきそうに思えたので、こんどは登場人物の構想を練りはじめた。わたしは、ストーリーをできるだけ短い期間に限定するほうが性に合っている。その本でも、14時間のうちに起きる出来事を扱った。だが、書くのは3年がかりだった。ようやく書き上げた原稿を携えてエージェントの事務所に行き、投げ出すようにして置いてきたときのことはいまだにはっきりと覚えている。数か月が過ぎた。その間、ふたつの出版社からは、子供が危険な目にあう話は女性の読者にはショックが強すぎるという理由で断られた。そして、あの信じられないような奇跡の日がやってきた。電話をとると、サイモン&シャスターが原稿を買い取ってくれるという知らせ。喜びのあまり息が止まり、そのまま天にも昇ろうかという心地だった。
その『子供たちはどこにいる』が、いまこうしてこの本のサスペンス部門のペストテンに加えていただけたことを、とても光栄に思う。それも、日頃おつきあいいただいている同業者の方々の評価とあればまた格別である。

どの作家も、ひとりですべての作家の考えを代弁することはできない。わたしたちはそれぞれ異なる題材を選び、異なる手法で書いている。しかし、もしサスペンスというものをどう捉えているかとたずねられれば、それは日常が非日常的になり、なじみのものが恐ろしいものに変わっていくときに生まれるのだと答えるだろう。
わたしは、作家仲間と10人で一度夕食をともにし、ミステリーやサスペンスについて語りあうことにしている。その席では、各自が現在執筆中の作品について少し近況報告をし、アイデアや取材の方法、舞台設定やプロットについて意見を交換しあう。

ときには、プロットと人物描写のどちらを優先させるか、それともふたつは切り離せないものなのかといった議論になることもある。
ある晩の話題は、どんな音が最も恐怖をかきたてるかということだった。
さまざまな意見がだされた。悲鳴、銃声、ガラスの砕ける音……。そのうちわたしがすっかり気に入ってしまったこんなアイデアがとびだした。「その家はどこもしっかり鍵がかかっている。あなたはそこにひとりで住んでいる。夜も更けて、ベッドに入り、あたりは漆黒の闇。と、そのときトイレで水を流す音が……」なるほどこれも、なじみのものから恐ろしいものへの変貌にはちがいない。

わたし自身が好んでもちだすのは、「その男の車にのっちゃだめ、そいつは人殺しよ」というぐあいに読者が主人公の行動を先まわりしてははらはらするようなアイデアである。
わたしは、章を短く区切り、多角的な視点から書いていくのがすきだが、元をたどれば、それは、遠い日の聖ザビエル教会の舞台で、割り当てられた1行の文句を順番に言っては退場する経験あたりからきている。それで、今でも少しずつ語ってはひっこむことを繰り返している次第。

読者に、ジェットコースターに乗っているような気分を味わっていただきたいというのがわたしの願いである。子供のころの、搭乗券を買ったとたんに心臓がドキドキしはじめるあの気分を覚えていらっしゃるだろうか? これから怖い思いをするのだとわかって、ワクワク・ドキドキする気分を。

わたしは、危機に瀕したヒロインたちを書きたい。
そして読者を、片付けなくてはいけない仕事をそっちのけにし、眠るのも忘れて読みふけるほど夢中にさせたい。
なぜ? ひとりの書き手として、わたしは、はらはらし、楽しい興奮を味わうというサスペンスの醍醐味を提供したいと思い続けてきたからである。このジャンルのベストテンに選ばれたほかの作家たちは、いずれもその優れた名手ばかり! わたしをそのひとりとして認めてくださる方々がいらっしゃることは喜ばしいかぎりである。

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