No. | 作品 | 著者 | 出版社 |
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1 | そして誰もいなくなった | アガサ・クリスティ | ハヤカワ文庫 |
2 | アクロイド殺人事件 | アガサ・クリスティ | 新潮文庫ほか |
3 | GAUDY NIGHT | ドロシー・L・セイイヤーズ | |
4 | ナイン・テイラーズ | ドロシー・L・セイイヤーズ | 東京創元社 |
5 | MURDER MUST ADVERTISE | ドロシー・L・セイイヤーズ | |
6 | オリエント急行の殺人 | アガサ・クリスティ | 創元推理文庫ほか |
7 | 毒を食らわば | ドロシー・L・セイイヤーズ | 創元推理文庫 |
8 | 雲なす証言 | ドロシー・L・セイイヤーズ | 創元推理文庫 |
9 | 三つの棺 | ジョン・ディクスン・カー | ハヤカワ文庫 |
10 | 書斎の死体 | アガサ・クリスティ | ハヤカワ文庫 |
11 | 消えた玩具屋 | エドマンド・クリスピン | ハヤカワミステリ |
12 | ABC殺人事件 | アガサ・クリスティ | 創元推理文庫ほか |
13 | 悲しみにさよなら | ナンシー・ピカード | ハヤカワ文庫 |
14 | フランチャイズ事件 | ジョセフィン・テイ | ハヤカワミステリ |
15 | スタイルズ荘の怪事件 | アガサ・クリスティ | 新潮文庫ほか |
16 | TIGER IN THE SMOKE | マージェリー・アリンガム | |
17 | ナイルに死す | アガサ・クリスティ | ハヤカワ文庫 |
18 | 災厄の町 | エラリー・クィーン | ハヤカワ文庫 |
19 | 緑は危険 | クリスチアナ・ブランド | ハヤカワミステリ |
20 | 鏡は横にひび割れて | アガサ・クリスティ | ハヤカワ文庫 |
マーガレット・マロン
戦前の偉大な“黄金時代”には、アガサ・クリスティとドロシー・L・セイヤーズが英国ミステリ界の頂点の座から、アメリカミステリ界に並び立つ両雄、ダシール・ハメツトとレイモンド・チヤンドラーを大西洋ごしに見つめていた。双方ともミステリという分野の古典であり、二大分子だった。そして、それ以降の50年をふリかえるとき、名だたる犯罪作家たちのなかで、この双壁を越える高峰をうちたてて三執政を確立しようという抱負を抱かなかった書き手をさがすのはむずかしい。
そんなわけで、ジャンルはどんどん細分化し、いまでは何十ものサプジャンルに広がっている。その区分にはあるていどの根拠があるとはいえ、その境界をめぐる争いもいまだ汲々として続き、重箱の隅をつつくような定義にこちらも惑わされる。
もともと、推理ものにせよ犯罪ものにせよ、これまでに書かれたミステリやクライム・ノヴェルはみな、夢のようなロマンチックなサスペンスと、恐ろしい黙示録的なスプラッターを結ぶ直線のどこかに位置していることは、衆目の一致するところである。私たちは、この系列を成す小説のうち、今回のベストテンでも9作を占めたクリスティやセイヤーズを想起させるすべてのミステリに、便宣上いまだに“正統”とか“本格”というラベルをつけているが、たとえその直系をもって持する現代のミステリ作家たちでも、その作品世界はじつに広範にわたっているため、そうしたラベルでくくられることに居心地の悪さをおほえる場合も多い。
もはや、死体が牧師館の炉端で見つかることもなく、名門責族の探偵や好奇心旺盛な未婚婦人がお茶の時間に犯人を暴くこともなくなった現代、私たちがこうした本格ミステリに期待できるものは何だろうか?
始祖たちにとって、殺人そのものの生々しい描写や絶え間ない暴力描写、目に余る冒涜、女性を極度に嫌悪するような性の価値観はこのジヤンルにはそぐわないものだった。
ごく厳密な意味で、そこには職業的な探偵も登場しなかった。P・D・ジエイムズのアダム・ダルグリッシュやトニイ・ヒラーマンのジム・チーとジョー・リープホーンは給料をもらって仕事をする警官だが、シャーロック・ホームズやエルキュール・ポアロは専門の諮問探偵として報酬を得ることはあっても、その捜査方法は、やはりセイヤーズのピーター・ウィムジイ卿やクリスティのミス・マープルと非常に似通っている。彼らは道具よりむしろ、プライドや嫉妬、羨望、怒り、あるいはかなわぬ欲望に屈服する人間の心を鋭く洞察することによって謎を解くのである。
犯罪小説の流れを汲む他のジャンルでは、ときに雇われ考の殺し屋や理由なき暴力が扱われるのに対し、本格推理に出てくる殺人者はみな親しみやすい顔をしている。ギャングや刑務所帰りの無頼漢、ボン引き、売春婦、麻薬の売人といったアナーキーな陰の世界の人種はめったに出てこない。ここに登場するのは、法的秩序がほぼ保たれている一般社会の市民として通用する人々だ。その普通の人闇が、家庭や友人、学校、会社の親しい交わりのなかで、いつのまにか異常な行為を犯してしまうのである(身近さというこの特質はミステリ作家の年次総会でもとりあげられ、新しい本格ものが Malice Domestic(家庭的な殺意)と称されていた)。
この古典的な形式では、暴カも偶然には起こらない。もしだれかが通りすがりの車から射殺されたように見えても、読者はやがて、犠牲者の最も身近な、あるいは愛するだれかがその車の運転免許証を持っていることを知る。だれかが毒を飲んで死んだとすれば、それは業務上の過失で混入したものではなく、おばのハーミオンの薬箱にあったものである。殺人に使われた凶器にしても、父親のアンティークのコレクションにまじっていた長剣や決闘用のピストルであって、どこかの質屋から盗まれたものではない。
今日の選りすぐりの本格推理作品は、いまなお巧妙にプロツトが組み立てられたフーダニット、つまり犯人さがしの形をとっている。クリスティやセイヤーズが好んで使った込み入った時間割や不可思議な要素にはあまり重きがおかれなくなってはいるものの、ほとんどの作家は、謎解きに必要な手掛かりをみなフェアに示している。とはいえ、殺人のための殺人より以上のものに関心を示す読者が増えていくとともに、多くの小説は社会問題を背景として織リこみ、さまざまな固定観念に挑戦するようになっている。
このリストの4作をアガサ・クリスティが、5作をドロシー・L・セイヤーズが占めたのは、ミステリ史的には興昧深いことかもしれないが、現役の本格推理作家の作品に限ったベストテンも併せて行ってみたなら、さらにもっと面自いものになったかもしれない。今日賑々しい本格推理のジャンルは、ふたりの作家だけに独占されてしまうにはあまリに彩り豊かである。