No. | 作品 | 著者 | 出版社 |
---|---|---|---|
1 | 時の娘 | ジョセフィン・テイ | ハヤカワ文庫 |
2 | 薔薇の名前 | ウンベルト・エーコ | 東京創元社 |
3 | シャーロック・ホームズ氏の素敵な冒険 | ニコラス・メイヤー | 扶桑社ミステリー |
4 | 死の競歩 | ピーター・ラヴゼイ | ハヤカワミステリ |
5 | 聖女の遺骨求む | エリス・ピーターズ | 現代教養文庫 |
6 | ふりだしに戻る | ジャック・フィニイ | 角川文庫 |
7 | ブルー・ドレスの女 | ウォルター・モズリイ | ハヤカワ文庫 |
8 | CROCODILE ON THE SANDBANK | エリザベス・ピーターズ | |
9 | ビロードの悪魔 | ジョン・ディクスン・カー | ハヤカワ文庫 |
10 | 中国鉄釘殺人事件 | ロバート・ヴァン・フーリック | 三省堂 |
ピーター・ラヴゼイ
予想どおりの結果?
1作はそうだった。『時の娘』が歴史ミステリのペストワンに選ばれることになら、最後の1ポンドでも賭けていただろう。1951年、ジョセフィン・テイは、主人公のアラン・グラント警部をちょっとした転落事故で入院させ、病院のベッドの上から一歩も動かさずに、ある歴史上の出来事を調べさせるというこの魅力的なアイデアを生み出した。警部が取り組んだのは、1483年、リチャード3世がロンドン塔でふたりの幼い甥を亡きものにしたという歴史の謎だった。ここでは、一般常識となっている史実――ふたりの王子の非業の死――が不可思議な殺人事件としてとりあげられ、捜査がさまざまな曲折、新しい発見を経てついに意外な真相にたどりつく。とはいえ、この作品の発表から現在に至るまでのあいだに、その真相はそれほど意外ではなくなっているかもしれない。このリチャード3世の物語に触発され、以後、有名なところでは、エリザペス・ピーターズ、ガイ・タウンゼント、ジェレミー・ポッターといった優れた推理作家たちが、それぞれ独自の方法でそれを証拠だててきたからである。
1990年に刊行されたハッチャーズ・クライム・コンパニオンのなかでイギリス推理作家協会が行ったアンケートでは、『時の娘』は歴史ミステリ部門の第1位のみならず、全ジャンルのペスト・ワンにも選ばれている。さらに、やはりジョセフィン・テイの『フランチャイズ事件」のほうも11位に入っている。歴史ミステリとしては、後者はむしろ、より斬新なものだった。というのは、『フランチャイズ事件』は18世紀のエリザベス・キャニング失踪事件をとりあげ、舞台を20世紀におきかえて書かれたからである。テイの膨大な信奉者のあいだでは、どちらを彼女の代表作とすぺきかは議論のつきないところだ。ともあれ、テイの作品がひとつ確かに示してくれたのは、歴史ミステリというジャンルの多様な可能性である。
幸いな偶然というべきか、エリザベス・キャニング事件は、このアメリカにも、ふたりの歴史ミステリのすぐれた草分けをもたらした。1945年に、リリアン・デ・ラ・トアが、この事件を物語にした小説『消えたエリザベス』(東京創元社、世界推理小説全集第65巻)を発表し、先駆者であるジョン・ディクスン・力ーに捧ぐという献辞をのせている。デ・ラ・トアの最も有名な『Dr.Sam Johnson, Detector』(1946年、短編集)にもみられるそうした楽しいウィットに富んだアイデアは、それ以降の3つの短編集にもひきつづき使われている。しかし、こうしたデ・ラ・トアの作品がペストテンに入らなかったのは、彼女の書くものが長編小説ではなく、短編であったためだと推測するほかはない。デ・ラ・トアのよき師、ジョン・ディクスン・力ーは、だれが選んだリストにも名前があがっているにちがいない。力ーは、チャールズ2世時代の1670年の英国から1912年のニューオーリンズを舞台にしたものまで全部で14作の歴史ミステリを残しており、それ以外の主要作品にも歴史への強い関心が反映されている。彼は歴史ミステリという形式が何を成しえるかを縦横に示してみせた。実際の犯罪を小説に再構築した1936年発刊の『エドマンド・ゴドフリー卿殺害事件』(国書刊行会)は、リリアン・デ・ラ・トアにくっきりとした道しるべを与えた作品。あのウイルキー・コリンズを探偵に仕立ててしまうという奇抜な発想の『血に飢えた悪鬼』(創元推理文庫)。そして、現代人が過去の時代に湖るという独創的な3作品、1951年の『ビロードの悪魔』(ハヤカワ文庫)、1956年の『恐怖は同じ』(ハヤカワ文庫)、1957年の『火よ燃えろ!』(ハヤカワ文庫)。このうち順当に票を獲得した『ビロードの悪魔』は、スチュアート王朝時代の英国をみごとに再現し、一見荒唐無稽な設定を、歴史の真実昧を大きく損なうことなしにめくるめく冒険譚に仕立ててしまう力ーの力量を証しする作品である。
『ビロードの悪魔』からジャック・フィニイの『ふりだしに戻る』(1970年)を想起するのは無理な話ではあるまい。こちらの主人公は1880年代のニューヨークにタイムトラペルする。結末は伏せておくことにするが、きわめつけの解決編が用意されている。こだわリの強い人のなかには、SFの要素をもつ作品はミステリとは呼ぺないとする向きもあるが、私はそうは思わない。それよりも、こうした小説のよしあしは説得カいかんにかかっており、その点フィニイは当時のニューヨークシティを鮮やかに蘇らせ、プロツトにも読み手を夢中にさせるおもしろさがある。
ヴィクトリア朝は、エドガー・アラン・ポオ、ウイルキー・コリンズ、そしてアーサー・コナン・ドイルの才能によって不滅の時代となリ、後世のミステリ作家たちを魅了し続けてきた。この先人たちは、自分たちの生きている世界を、そっくりそのままではないにしろ、読者にも十分に身近に感じられるリアリティをもって描いていた。それは、上流社会ではさかんにお茶会が催され、裏町では貧しき者が泣き叫ぶという両極端の世界だった。犯罪は、ときおりそうした上流社会に忍ぴ込んではテイーカップを持つ手を恐怖で震わせたのである。それ以後、シャーロック・ホームズものを元にして書かれた模倣作品、パステイーシュ、パ□デイの数はとうていここに挙げきれないほど多い。しかし、そのなかでもニコラス・メイヤーの“ワトスン博士の未発表手記による”『シャーロック・ホームズ氏の素敵な冒険』(1974年)は、ことに異彩を放つ作品である。質の高い文章によってコナン・ドイルに敬意を払いながらもホームズを自由闊達に動かし、仇敵のモリアティばかりか、ジクムント・フロイトとも対面させてしまう。個人的には、ホームズの新しい冒険と称する本を読むことにかまけるよりは、原典を何度でも読み返していたいほうだが、メイヤーのこのパスティーシュは、楽しく、機略に満ちた、たしかによくできた作品だった。
ヴィクトリア朝の雰囲気に浸りたい読者は――もし、まだお読みでなければ――エリザペス・ピーターズが生んだエジプト学者の主人公、アメリア・ピーボティものを一度手にとられるといい。私の好みとしては、H・R・ハガードに追随するような『The Last Camel Died at Noon』(1991年)が非常に面自かったが、MWA諸氏の投票結果にしたがうことに異存はなく、シリーズ第1作の『Crocodile on the Sandbank』(1975年)も同様にこたえられない魅力がある。たしかにこれは、一流のスタイルを備えた典型的なヴィクトリア朝の冒険譚の傑作といっていい。この極上のシリーズはどれも迫カとウィツトにあふれているうえに、エジプト学の専門知識をふまえて書かれている。さらに、その複雑なプロットは、王家の墓に描かれた模様さながらである。
古代エジプトからインスピレーションを得たものは、むろんアガサ・クリスティの作品のなかにも何作かあり、女史自身、考古学者は全女性にとって最高の夫だと言ったことすらある。デイム・アガサの『死が最後にやってくる』(1944年)(ハヤカワ文庫)は興昧深くはあったが、結局はやや期待はずれの歴史ミステリだった。女史のスタイルには、考古学的要素を現代の舞台にとりいれた小説のほうが合っているらしい。
遠い過去の時代――探偵の手法や警察機構が確立する以前の――を舞台にしたミステリを書こうとする作家は明らかに困難を背負うが、それはまったく克服できない問題ではない。このジャンルに登場してきたばかりのアントン・ギルは目下、詳しい調査に裏付けられた古代エジプトを舞台にした興昧深いシリーズを発表しており、『City of the Dead』(1993年)はその最新作である。
もうひとつ、偉大な文明が、ロバート・ヴァン・フーリックのディー判事シリーズのなかに描かれている。西暦670年ごろの唐の時代の中国を舞台にしたこのシリーズは、実在した歴史上の人物、狄仁傑(デイー・レンチエ)をモデルにした説得力のある主人公を擁している。ヴァン・フーリックはオランダ人外交官で、中国の事件史の翻訳で得た知識を生かしてミステリを書くようになった。『中国鉄釘殺人事件』(1961年)は、読みごたえのある謎解きのなかに機知と学識がバランスよく盛り込まれたすぐれた作品である(ディー判事ものの邦訳には他に『中国迷路殺人事件』(ちくま文庫)がある)。
ギリシャ、ローマ時代もやはり架空の探偵を登場させる舞台から除かれてはいない。マーガレット・ドゥーディの『Aristotle, Detectiv』はこの種の初期の作品のひとつであり、『The Silver Pigs』(1990年)は、リンジー・デイビスが古代ローマの私立探偵、マーカス・ディディアス・ファルコを初登場させた処女作で、大いに人気を博しそうなシリーズである。しかし、そろそろ時代を下ってこんどは中世に目を向けてみなければならない。
ウンペルト・エーコの『薔薇の名前』(1983年)はイタリア語の原書をウイリアム・ウィーヴァーが英訳したものだが、この英語版は発刊されるや絶大な成功をおさめた。正確には、この小説は、その薀蓄や哲学談義でミステリの領域を超越しているが、フーダニットとして読むこともできる、リストの第2位にふさわしい作品である。エーコは現在のところ、ミステリからは遠ざかったままだが、聖職者を主人公とする趣のある本格的な歴史ミステリを求める読者向けには、エリス・ピーターズの修道士カドフェル・シリーズが上梓されており、その第1作の『聖女の遺骨求む』(1977年)は、今回のアンケートでも人気を集めた。修道士カドフェルものはもちろん、ブラウン神父やラビのスモールのような聖職者探偵を主人公とするミステリの系統にも属している。
さて、中世のシュルーズペリから一足飛びに1948年のロサンゼルスヘと移ろう。ウォルター・モズリイの『ブルー・ドレスの女」(1990年)は、出版界に強烈なインパクトを与え、大西洋の両側でそれぞれ最優秀新人賞を受賞した。語り手のイージー・ローリンズは黒人の失業者。レイモンド・チヤンドラーのマーロウも活躍した殺人と腐敗の街が舞台となっているが、その描写が実に鮮やかで魅惑的である。ここには下町の生活が生き生きと脈打っている。これは歴史ミステリというよりはむしろ現代のミステリではないかという異論もあるかと思われるが(たしかに、1948年を思い出せる人々はまだかなりいる)、どちらにせよ、才気あふれる作品であることに変わりはない。
最後に、MWAの選に漏れたことを個人的に残念に思っている作品を挙げておきたい。エヴァン・ハンターの『Lizzie』、ジーン・スタブズの『わが愛しのローラ』(ハヤカワ・ミステリ)、ジュリアン・シモンズの『Sweet Adelaide』、グウェンドリン・バトラーの『A Coffin for Pandora』、コリンーデクスターの『オックスフォード運河の殺人』(ハヤカワ・ミステリ)、アントニー・プライスの『隠された栄光』(早川書房)、H・R・F・キーティングの『マハラージャ殺し』(ハヤカワ文庫)。どうかこれらもご一読いただきたい。期待が裏切られることはまずないはずである。