No. | 作品 | 著者 | 出版社 |
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1 | マルタの鷹 | ダシール・ハメット | ハヤカワ文庫ほか |
2 | 大いなる眠り | レイモンド・チャンドラー | 創元推理文庫 |
3 | 長いお別れ | レイモンド・チャンドラー | ハヤカワ文庫 |
4 | さらば愛しき女よ | レイモンド・チャンドラー | ハヤカワ文庫 |
5 | 影なき男 | ダシール・ハメット | ハヤカワ文庫 |
6 | 赤い収穫 | ダシール・ハメット | ハヤカワ文庫ほか |
7 | 裁くのは俺だ | ミッキー・スピレイン | ハヤカワ文庫 |
8 | アリバイのA | スー・グラフトン | ハヤカワ文庫 |
9 | 湖中の女 | レイモンド・チャンドラー | ハヤカワ文庫 |
10 | ネロ・ウルフ対FBI | レックス・スタウト | 光文社 |
11 | レモン色の戦慄 | ジョン・D・マクドナルド | 角川文庫 |
12 | さむけ | ロス・マクドナルド | ハヤカワ文庫 |
13 | 八百万の死にざま | ローレンス・ブロック | ハヤカワ文庫 |
14 | ブラック・チェリー・ブルース | ジェイムズ・リー・バーク | 角川文庫 |
15 | 聖なる酒場の挽歌 | ローレンス・ブロック | 二見書房 |
16 | かわいい女 | レイモンド・チャンドラー | 創元推理文庫 |
17 | THE GREEN RIPPER | ジョン・D・マクドナルド | |
18 | ガラスの鍵 | ダシール・ハメット | 創元推理文庫 |
19 | さらば甘き口づけ | ジェイムズ・クラムリー | ハヤカワ文庫 |
20 | 地中の男 | ロス・マクドナルド | ハヤカワ文庫 |
スー・グラフトン
私は、推理小説と探偵小説を常食として育った。40年代には、父親のC・W・グラフトンが副業としてミステリを書いていたため、このジヤンルの魅カを教えてくれたのは父その人だった。10代のはじめごろ、両親が出掛けてしまった夜には、長細い窓のある天井の高い陰気な家でひとリ留守番をした。昼間は、家をとり囲んでいるカエデの木立は庭に日陰をつくっていた。それが夜になると、覆いかぶさるような枝が青白い月の光までも隠してしまう。そんな晩には、私はたいてい1階の居間にある母の小さな布張りの揺り椅子に座り、象牙の柄のついた肉切り包丁を手のとどくところに置いて、次から次へと推理小説を読みあさった。顔をあげて耳を澄ますたぴに、地下室の階段をあがってくるだれかの足音がごくかすかに聞こえるような気がした。
推理小説は、毎年の夏休みにもスケジュールの中心を成し、学校の授業や宿題から解放されて、好きなだけ本が読めた。ゆっくりと日が暮れてゆく8月のあの長い夜。2階の自分の寝室で、短いナイトガウンを着て寝ころがり、シーツをめくりあげたまま、私は本を読みふけった。ペッドランプは熱を放ち、湿気がキルトのようにベッドにのしかかっていた。窓にコガネムシが突撃し、ときおり勝利者がシェードのすき間から侵入してくる。私がナンシー・ドルーからアガサ・クリスティを経てミッキー・スピレインヘと移行していったのは、この、神経を昂ぶらせるような空気と、ときどきどきりとさせられる虫の群れのなかでのことだった。それまで慣れ親しんでいたミス・マープルから一足飛ぴに『裁くのは俺だ』の異教徒的な感性の世界へ入っていった夜の驚きはいまだに忘れない。ミツキー・スピレインからジエイムズ・ケインヘ、そしてレイモンド・チャンドラー、ダシール・ハメット、ロス・マクドナルド、リチャード・ブレイザー、ジョン・D・マクドナルドヘ。それは、殺人の暗い詩情に身を浸す洗礼の儀式だった。そのとき私はすでに、私立探偵ものが創意と知力、動きと技巧との完壁な融合を成す小説であることを感じとっていたのかもしれない。
30年代に、ハードホイルド派の私立探偵ものは、大衆文学のなかから、ボロ布の山にネズミが湧くように自然に生まれた。第二次大戦後、この国はにわか景気に沸き、みな経済成長と浮わついた楽天主義に酔っていた。海の向こうから帰ってきた「わが兵士たち」は、流れ作業の仕事についた。女たちは軍需工場を辞め、(マスコミの洗脳によって)スウィート・ホームに戻った。この、終戦後の安普請のマイホームと裏庭でのバーペキューの時代にあって、ハードボイルド派の私立探偵は、シニカルで、気のきいたセリフを吐き、拳銃を携えた雄々しいヒー口ーだった。みなこの男っぼさに自分を重ねあわせ、その非情な主義や、45口径にものをいわせるむこうみずなやり方に憧れた。ヒー口ーたちはむやみに煙草を吸い、浴びるほと酒を飲み、悪女やギャンクをけちらし、敵をなぎ倒した。つまり、相手にうむを言わせなかったのだ。そういう流儀で、彼らはその時代の豊かさと明日のことを気にしない男たちの浮かれ気分をフイクションの世界にもちこみ、ふくらませていた。それは、彼方の戦場から居心地のいいわが家に戻ってきた陽気な気分の体現でもあった。
40年代と50年代を通じて、ハードポイルド派の私立探偵小説は、現実からの逃避行であり、危険や興奮や、不正が報いをうけるヒロイズムの世界はまだ失われていないという保証を与えてくれた。戦後のけだるい平和にとって、私立探偵ものは、冒険の可能性の証しだったのだ。ハードボイルド派の核をなしていたのは、西部劇の派手な撃ち合いのようなもの珍しさと、わが家の白い棚の前の道のような親しみを併せ持った対決の祝典だった。それは、依然として個人の勇気がカをもっていることを示すフィクションでもあった。
犯罪がまだ扇情的な興昧をひく時代だった。殺人はセンセーショナルで、どこか遠くの大都会でしか起こらない事件だった。正義はだれの目にも明らかで、復讐は甘い香りを放っていた。ハードボイルド派の私立探偵はその率直さで、人闇性の闇の部分から遣わされた使者を完壁につとめた。戦争がすでにその闇を解き放っていた。そして平和が兵士を故郷に連れ戻していた。彼らは、こんどは社会の陰の部分をさまよい歩くようになったのだ。ハードボイルド派のなかにはわたしたちの激情があった。ヒーローたちは正義とフェアプレィの強カな擁護者でいながら、一般人が従わせられているルールを打ち破るカももちあわせていた。
そのシニカルな無表情のなかに、わたしたちは抑圧された衝動を投影し、タフ・ガイの行動に魅カと抵抗とを同時に感じていた。
ハードボイルド派のシンプルで力強い語り口には、どこか人をひきつけるものがあった。その粗削りなスタイルには、ある種の爽快さがあった。そっけない調子にもかかわらず、独特の淡々としたモノトーンの叙述ゆえに、わたしたちは腹話術を使っていくらでも自分の声を“投じる”ことができたからだ。わたしは、そうした作家たちの骨ばった文体から力を授けられてマイク・ハマーになりきった。サム・スペイドにも、シェル・スコットにも、フィリップ・マーロウにも、リュウ・アーチャーにも。したがって、しばらく後に、わたしがテレビ用の台本書きという衰弱するばかりの仕事から抜け出したいと思ったとき、解放手段としてハードボイルドに目を向けたのもごく自然ななりゆきだった。
しかし、時代は変わっていた。マイク・ハマーの全盛期から歳月を経るうちに、街では、いつのまにか激情がかんたんに爆発するようになっていた。わたしたちは、悪夢のようなもっと暗濾とした時代に生きている。暴カは、見境いのない、無意昧で、しかもありふれたものでしかない。通りすがりのドライバーが、車を盗むために撃たれる。ティーンエイジヤーが、ジャケットやランニングシューズめあてに殺される。殺人は身辺のどこにでも突発し、罪のない人閤が無差別に殺られる。小さな町でさえ、血の刷毛で塗られている。拳銃はもう正義と秩序の象徴でなく、混沌の源だ。弾丸は日々猛り狂って、殺戮をひきおこしている。わたしたちは無法状態に容赦なくさらされている。フィクションのなかの殺人は巧妙に人を魅了しつづけているが、それと対時する現実の生活は道理の通らないただの屠殺場でしかない。殺人は地下室で咆哮する野獣と化し、魂との鎖を断ち切って、手の届かないところで暴れまわっている。
このアナーキーな空気のなかで、作家たちは、かつては法が与えてくれた慰めを見いだせるような神話をよみがえらせ、つくり直すことを強いられる。ハードボイルド派の私立探偵の活躍はいまなお現実からの逃避であり、ある証しではあれ、それはまったく逆の見地からだ。現代小説の私立探偵は、明蜥さと活力、法廷では見ることのできなくなったすみやかな正義の執行を代表する、人々の混乱と恐怖の解毒剤なのである。
暴力の制御がきかなくなった社会においては、ハードボイルド派の私立探偵は制圧や秩序、希望を体現し、個人のもつ力を暗に保証し続ける。そこでは、機略や不屈の精神、決断カが勝ちをおさめる。私立探偵たちは、悪徳の自己投影から、美徳を映しだす鏡へと姿を変えた。過激さではなく穏健さを代表し、推進するようになった。現代のハードホイルド小説からは酒や煙草や武器が減り、健康やユーモア、機敏さ、分別、感情の抑制の比重が大きくなっている。女性作家がこのグラウンドに飛ぴ出してきて、すでに社会に浸透していた意識を吹き込んだのも決して偶然ではない。さらに、このゲームには数えきれないほどの新顔の探偵も加わった。ゲイ、アフリカ系、アメリカ先住民、アジア系など、これまでなじみのなかったさまざまな声が自己主張をはじめたのだ。
ハードボイルド派は、社会背景に反して、今なお善と悪の古典的な抗争を描いている。だが、わたしたちはいまや、女性を含む優秀な書き手を加え、両性の勇士を擁するようになった。女性の役割はファム・ファタール(運命を狂わせる女)から主役へと移行し、妖婦や裏切り者や従順な秘書に左遷される必要はなくなった。戦う相手は相変わらずかつての脅威を保つ一方で、主人公は両性具有的になり、人種も多岐にわたり、調和や共感に基づく複雑な価値観をもつようになっている。この国のせめぎあう欲求の調停者として、柔軟性と多様性、多面的な視野をもっているという意味では、今日のハードボイルドのヒー口ーやヒロインたちが、よリいっそう精密な鋳型になっていることは言うまでもない。だからこそ、ハードボイルド派の私立探偵小説はふたたび文壇の最前線に躍り出て注目を浴びているのだ。わたしたちは、今日もなおこのジャンルが健在だということを読者に示そうとしている。そして、やはり始祖たちと同じように、機知や洞察によって時代に適応し、反応しながら前進し続けていることも。