No. | 作品 | 著者 | 出版社 |
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1 | 推定無罪 | スコット・トゥロー | 文春文庫 |
2 | 裁判 | ロバート・トレイバー | 創元推理文庫 |
3 | 検察側の証人 | アガサ・クリスティ | 創元推理文庫 |
4 | RUMPOLE OF THE BAILEY | ジョン・モーティマー | |
5 | 法律事務所 | ジョン・グリシャム | 新潮文庫 |
6 | アラバマ物語 | ハーパー・リー | 暮らしの手帳社 |
7 | 評決のとき | ジョン・グリシャム | 新潮文庫 |
8 | ビロードの爪 | E・S・ガードナー | 創元推理文庫 |
9 | 立証責任 | スコット・トゥロー | 文芸春秋 |
10 | THE CAINE MUTINY | ハーマン・ウォーク |
スコット・トゥロー
連邦検事補としての最後の4年間、私は新人の監督の任にあたっていた。地検に採用された検事たちが、法廷での弁論技術の訓練を必要とする場合もあるためだ。したがって、私はよく法廷を参観しに出かけた。そこでは、若い同僚たちがきちんとした尋問を行い、不当な誘導尋問を指摘し、裁判長への礼儀を失することなく適切な主張を述べていることを簡単にチェックしてくればいいのだ。
しかし、先輩の法律家たちと並んで後方席に座っていると、つい時問を忘れがちだった。裁判の当事者以外にとっても、ごく日常的な審理――財務証券の盗難や少量の麻薬密売――が、ときには信じがたいほどドラマチックなものになりうるからだ。証人と尋問者とのあいだでは、暖昧模糊とした真実をめぐって、不確かな記憶や、訴追側の協カ者の疑わしい動機などがもたらす混乱との格闘が行われる。同時に、そこでの証言内容はしばしば、日常生活のまっただなかで邪悪なできごとがいかにして起こるのかという興昧深い事実を教えてくれる。
長引いた大学生活を終えると、私はロー・スクールに入った。大学時代に書いていたややしかつめらしい小説を出版できる見込みがないと悟ったあとだった。それから何年かして、まだ活字にする望みを与えてくれそうな小説のテーマを探していた私は、自分がいま法廷で見ていることを書こうと決めた。そこには意昧のある普遍的なドラマがあると思えたのだ。陪審が裁判の内容をすべて知ったうえで評決を下しているからには、どんなに重大な訴訟であれ、その審理は特別な教育を受けていない一般市民にも理解できるように行われているはずだ。
それがきっかけだった。法廷という舞台は人々の関心をひく深いテーマの宝庫だという認識から『推定無罪』のインスピレーションは生まれた。最初の草稿では、犯人を特定せず、ふたりの容疑者に絞るだけにした。それが、法廷ではよくあることだからだった。“リーズナブル・ダウト(合理的疑い)”という法律用語は、人間社会の相互関係をよく表している。世間には、不明のままに終わることがあふれている。しかし、最終的に私は、ミステリの魅カを引き出すためには、ひとつの鉄則に従わなければならないということに思い至った。ミステリは、生活のなかではそして法廷でもなかなか得ることのできない確信を与える。おそらくそれが、これほど長い時代にわたってミステリが熱心に受け入れられてきた理由でもあるのだろう。ともかく、私は、陪審が決めるはずのこと――だれが犯人か――を何らかの形で明かすことにしたのだ。
しかし、それにもかかわらず、法律を扱ったフィクションの魅カは、明確さよりも暖昧さによるところが大きいと考えている。“合理的な疑い”は実質的に、法体系のなかで、法学自体の不確実性を認めている唯一の原則だ。法律が、だれもが疑問をさしはさみたくなるような権威をふりかざすことは珍しくない。その整然とした分類と揺るぎない原則のために、法はえてして、モラルの多角性や、罪や咎といった概念の不確実性をないがしろにしてしまう。しかし物語には、そうした法のあいまいさを突き、ドラマにすることができるのだ。
むろん、法律家の登場するフィクションがこれほど多く世に出るようになった背景には、もうひとつ別の理由がある。それは、今日のアメリカ社会では弁護士の果たす役割がますます重要になっているという認識が広く浸透しているということだ。教会、学校、地域社会といった他の制度の権威が薄れていくにつれて、アメリカの自意識は多元的になり、傷ついた感情を金に換算することにさほど戸惑いを抱かなくなった結果、国全体として、法的手段に訴えるケースはしだいに増えている。小説は、18世紀の勃興期から現在まで、いつの世にも教育的な役割を果たしてきた。今日、法律関係の小説がこれほど注目されているのは、それが、日常茶飯ではないにせよ、生活のなかでだれもが時おり経験する憤激を調停する制度に対する世間の関心に応えたからにほかならない。もしこの本が10年前に企画されていたなら、法廷ものというジヤンルが設けられることはなかっただろう。そして私もまた、法廷の後部席で審理に聞き入っている傍聴者のひとりにすぎなかったはずだ。