ブラック・キャブ
著作名
ブラック・キャブ
著者
ジョン・マクラーレン
ジャンル
マネーゲームミステリ
星の数
★★★★
出版社
角川文庫
原作出版
1999
備考

難病の娘を救うため、なんとしても治療費五十万ドルを稼がねば…。
冴えない中年タクシー運転手のレンは、運転手仲間、女たらしのテリーとIQの高い天才アインシュタインを引き入れ、一獲千金計画を練る。
客の情報を盗み聞きし、株で一山当てようというのだ。
だが、情報源の一人がタクシーの中で殺されてしまい……。
資金稼ぎと犯人探しで、でこぼこ三人組の涙ぐましい努力と奮闘は果たして実を結ぶのか?
スリルと笑いがたっぷりの、痛快マネーゲームミステリ。

訳者(玉木亨)あとがきより

難病を抱えた娘のポピーの命を救うためには、馬鹿高い治療費をなんとかして工面しなくてはならない。だが、五十万ドルもの金を、いったいどうやってクリスマスまでに用意しろというのか?

冴えない中年のタクシー運転手レンは、ふたりの運転手仲間――女たらしのテリーと、十五歳でケンブリッジ大学への入学を許可された天才アインシュタイン――の協力を得て、ささやかな軍資金をもとに一攫千金の夢見て奔走する。だが、この治療費調達計画に深く関わっていた銀行家がタクシーの後部座席で殺されたことから、警察とは別個に犯人探しまでやらなくてはならなくなる。はたしてタクシー運転手三人組は警察を出し抜き、殺人犯の正体を突き止められるのか? そして、冷酷非情なビジネスの世界で無事に金を調達し、ポピーの命を救うことができるのか?

このスリルと笑いをたっぷり詰めこんだミステリを書きあげたジョン・マクラーレンという作家は、わが国ではこれまでにデビュー作Press Send(1997)が『AIソロモン最後の挨拶』(創元ノヴェルズ)として邦訳紹介されている。1951年エディンバラ生まれというから、作家としてはかなり遅咲きのほうだが、そこにいたるまでの経歴がなかなかユニークで面白い。

ダーラム大学で法律を専攻するものの、すぐに自分が、“世にも退屈なもの”を選んでしまったと気づき、勉強そっちのけで遊びまわったあとで、外務省に入省。そこで二年間みっちり日本語を勉強し、東京のイギリス大使館に三年半にわたって赴任している。その後、ベアリングズ銀行の東京支社に転職。銀行業務にかんする知識がまったくないにもかかわらず彼が雇われたのは、銀行側が日本語のまったくできない社員を現地に送りこむのにうんざりしていたからだそうで、その後、80年代なかばの二年間をサンフランシスコのベンチャー企業ですごしたあとで、モルガン・グレンフェル信託銀行の取締役としてシティに戻ってきた。

この業界の虚しさを感じてふたたび転身を考えはじめたのが四十歳のときで、それから小説家になるまでには五年ちかくかかっている。シティの過酷な合併・買収工作で揉まれてきた彼も、はじめて著作権代理人に原稿を見てもらったときには、その反応にかなり落ちこんだという。代理人曰く、「あなたは成功したヘテロセクシュアルの中年白人男性だ。わたしがつい最近発掘した作家は、両親に虐待されて育った十七歳のレズビアンの少女ですよ――これくらい“売り”がないとね」

それでも彼はあきらめずに、直接、出版社に原稿を持ち込み、ついに『AIソロモン最後の挨拶』で見事、作家デビューをはたしたのだった。

このように何度も華麗な転身をくり返してきたわけだが、現在も作家として7th Sense(1998)、Black Cabs(1999)(邦題『ブラック・キャブ』)、Running Rings(2001)、Blind Eye(2004)と順調に作品を発表しつづけるかたわら、小規模な金融コンサルタント会社の会長、有名なウイスキー会社の取締役、そしてクラシック音楽好きが高じての世界最大の作曲コンテストの主催・運営と、八面六臂の活躍をみせている。

これまでのさまざまな経歴が決して無駄になっていないことは、本書を読んでいただければ一目瞭然。外務省時代に培われた文章力で描かれる込み入ったプロットと斬新なアイデアは本国イギリスの書評子から高く評価されており、本書も「洒落ていて創意工夫に富んでおり、大いに楽しめる」(「タイムズ」紙)、「秀逸なアイデア」(「デイリー・テレグラフ」紙)、「“やられた”と思わせてくれる作品」(「サンデー・ミラー」紙)、「スタイリッシュなスリラー」(「イブニング・スタンダード」紙)と絶賛されている。

最後に、物語の第二の主役ともいうべきロンドンのタクシーについて簡単に紹介しておこう。“ブラック・キャブ”という愛称からもわかるとおり、黒くてずんぐりした車体のイメージが強いが、じつは必ずしも色は黒である必要はない。車内が広々としているのが特徴で、対面式で五、六人はすわれる。運転手の質の高さは折り紙付きで、それというのも、彼らは“ノレッジ”と呼ばれる厳しいタクシー運転手資格試験に合格しないと正式なロンドンのタクシー運転手になれないからである。

この制度ができたのは1851年、ハイド・パークで大博覧会が開かれた年で、このときタクシー運転手が道を知らなすぎると問題になったのがきっかけだった。現在の志願者は四百種類のルートがおさめららた“ブルー・ブック”と呼ばれるリストを渡され、チャリング・クロスから半径六マイル以内にある約二万五千の道路をすべて知りつくしたうえに、それ以外のロンドンの主な通りを頭に入れておかなくてはならない。そして、教官から「A地点からB地点まで」と指定されたら、最短ルートを口頭で答える、という試験を何度もくり返し受ける。

エンジン付き自転車のハンドルに譜面台のようなものをつけ、地図をそこにのせて、きょろきょろあたりを見まわしながらロンドンの街を走りまわっている人がいたら、それはタクシー運転手志願者とみてまず間違いないだろう。


inserted by FC2 system