「剣客商売」春の嵐『剣客商売」も十冊目でいよいよ長編が登場した。昭和四十七年(1972)にはじまったこのシリーズは「小 説新潮」に読切連載だったが、六年後の昭和五十三年、『春の嵐』が一年にわたって連載された。池波正太郎 五十五歳、秋山小兵衛六十三歳。

『剣客商売』は小兵衛が安永六年(1777)、五十九歳のときにはじまる。女武芸者の佐々木三冬と知り合い、 彼女の危機を救ったところで、年が明けて安永七年、小兵衛は六十歳になった。このとき、作者は四十九歳だっ たから、作者と作中人物との年齢の差が、『春の嵐』までの六年のあいだに少しく縮まっている。

『剣客商売』では作者が小説の主人公の年齢を追いかけることになった。そして、秋山小兵衛が六十七歳の とき、作者は同じ六十七歳で、惜しまれて世を去ったのである。

秋山小兵衛の旺盛(おうせい)な食欲や、ちょっとした病気には作者の折々の体調が反映されているよう だ。作者の体力の衰えを小兵衛に見ることができる。しかし、『春の嵐』の老剣客は元気である。

『春の嵐』は長編だから、仕掛けの謎も当然大きい。闇から闇へ葬(ほうむ)られてゆく大陰謀がこの長編 の背後にある。秋山大治郎と名乗る、頭巾をかぶった男による連続斬殺事件は天明元年(1781)の暮にはじまっ て、容易に解決を見ない。秋山ファミリーを総動員して、春にようやく小兵衛は犯人を討ちはたす。

けれども、『春の嵐』はじつになごやかな「食卓の情景」からはじまっている。『剣客商売』の冒頭で、 私の最も好きなシーンの一つだ。

時は天明元年暮の一夜。所は鐘ケ淵(かねがふち)の秋山小兵衛の隠宅。大治郎と三冬が遊びに来ている。

小兵衛は鰻の辻売りをしている又六が母親の床ばらいのお祝いに届けてくれた鯛と軍鶏を馳走(ちそう) しようというのである。

「先ず、鯛の刺身であったが、それも皮にさっと熱湯をかけ、ぶつぶつと乱切りにしたようなものだ」
 それで盃(さかずき)をあげ、一家団欒のうちに刺身を食べてしまうと、つぎは軍鶏。
「これは、おはるが自慢の出汁(だしじる)を鍋に張り、ふつふつと煮えたぎったところへ、軍鶏と葱(ねぎ) を人れては食べ、食べては入れる」
 じつにうまそうだ。この鍋には醤油も味噌も使わないそうだが、三冬が「ああ…」と嘆声をあげるほどの味である。
「すっかり食べ終えると、鍋に残った出汁を濾(こ)し、湯を加えてうすめたものを、細切りの大根を炊きこ んだ飯にかけまわして食べるのである」

底冷えの強(きつ)い夜だったから、躰もあたたまるだろう。『春の嵐』のこのシーンを読んでいると、 食欲をそそられる。それは、読者が食べてみたくなるように、作者が書いているからだ。そして、作者は少年 のころからこの料理を冬の夜に食べてきたのにちがいない。

池波正太郎氏は、躰でおぼえたことを書くという意味のことをあるエッセーに書かれていた。作者自身が 鯛の「皮にさっと熱湯をかけ、ぶつぶつと乱切りにした」ことがあっただろうし、鍋に張った出汁が「ふっふっ」 と煮えたぎるのをじっと見ていたこともあったにちがいない。

「さっと」とか「ぶつぶつ」とか「ふつふつ」とかいう言葉がここではじつに効いている。すべて世は事もな い、和気謁々(わきあいあい)とした雰囲気が私にも伝わってくる。だが、「ちょうど、そのころ」と作者はあ ざやかに場面を転換させて、八百石の旗本が秋山大治郎と名乗った男に斬り殺される事件を読者に知らせる。こ うして秋山父子(おやこ)はいやおうなしに奇怪な事件に巻きこまれてゆく。弥七(やしち)や徳次郎ばかりで なく、又六や手裏剣の名手、杉原秀(すぎはらひで)、そして杉本又太郎や飯田粂太郎(いいだくめたろう)な ど、『剣客商売』におなじみの脇役たちがつぎつぎと登場してくる。出てこないのは牛堀九万之助(うしぼりく まのすけ)だけだろうか。

『春の嵐」も私はなんどか読んでいる。だから、ストーリーは知っている。そうではあるが、一冊目の『剣 客商売』を手にとると、簡単に『春の嵐』まで読んでしまい、さらにすすんで『浮沈』まで行ってしまい、『黒 白』まで読まなければ気がすまなくなる。それで、また読んでるの、よく飽きないわねなどと家人に冷やかされてきた。

たいていの小説は一回読めばそれで終りである。『剣客商売』も読むのは一回きりでいいはずだ。けれど も、『剣客商売』は、というより池波さんの小説は、なんどでも読ませる力を持っている。疲れたとき、何か辛 いことがあったとき、私はかならず池波さんを読んでいる。それは『鬼平犯科帳』であることもあれば、『仕掛 人・藤枝梅安』であることもあるし、『雲霧仁左衛門』であったりする。

四十代のころからそうだった。私自身、秋山小兵衛の年齢になっても、それがつづいている。疲れたとき や辛いことがあったときでなくても、要するに暇ができると、池波正太郎を読んでいる。
 ストーリーがわかっているから、安心して読むのではないかと私に言う人がある。逃避ではないか、とも。な んと言われてもいいのであるが、池波さんを読みおわったあとで、再び仕事にもどることができる。おそらく、 池波さんの小説は私を慰め励ましてくれるのだと思う。秋山小兵衛の日常生活を通して、生きていることの歓び を教えられる。

これは秋山小兵衛や藤枝梅安や長谷川平蔵になりかわった作者が私を慰め励ましてくれるのだ。おいしそ うな料理が出てくるシーンを読むだけでも、慰めになり励ましになる。

『剣客商売全集』の「付録」には「〔剣客商売〕料理帖」という索引があるのだが、池波さんはあ行からわ 行までの食べものをすべて味わっている。だからこそ(池波さんなら「なればこそ」であるが)、食べものの シーンを読むと、食欲をそそられるのだ。

しかし、『春の嵐』には、食べもののシーンは冒頭にしかない。そのほかにないということはないのだけ れど、又六の老母がこしらえたにぎり飯と竹製の水筒に入れた茶を小兵衛が、張り込みをつづける傘屋の徳次郎 に届ける程度である。その握り飯を頼張(ほおば)った傘徳が、思わず、「こいつは、うめえ」と舌鼓(したつ づみ)を鳴らすと、私もまた食べたくなってくる。
「何のこともない握り飯なのだが、鰹節をていねいに削り、醤油にまぶしたものが入っている」

この握り飯は読者から手の届くところにある。読者が自分でこしらえることのできるものだ。『剣客商売』 に出てくる食べものは読者がつくってつくれないことはないのだ。しかし、なんでもスーパーマーケットやコン ビニエンスストアのものですまそうという女の人たちにはできない相談である。
 彼女たちはおはるとちがう。おはるのような料理上手ではない。『剣客商売』を読めば読むほど、私はおはる が好きになってくる。これは私が年齢(とし)をとったからであろうか、それとも、妻がおはるのような女では ないからなのか。

『剣客商売』は若い人が読んでも楽しいだろうが、老後の楽しみという一面もある。年齢をとってから読む べき小説なのだ。おはるを例にとれば、はじめて読んだときは、田舎娘としか思わなかったが、だんだんに彼女 の魅力がわかってきた。池波さんは読者にとって気の休まる女を描いてみたのにちがいない。おはるこそ『剣客 商売』のマドンナである。

おはると対照的なのが三冬であって、池波さんはまったくちがう二つのタイプの女を描いた。そのほかに も『春の嵐』には「便牽牛(べんけんぎゅう)」と呼ばれるお松がいる。杉本又太郎はこのお松を見て、牛蒡 (ごぼう)のお松とはよくいったものだと思う。便牽牛とは牛蒡のことだ。
「色、あくまで黒く、骨の浮いた細い躰の乳房のふくらみも貧弱をきわめてい、これを抱いたら、肉置(ししお) きも何もあったものではなく」
 作者はこのように書いている。又太郎は(まるで、骨を抱いているようなものだろう)と思うのだが、お松は かすれ声で言うのである。
「お饅頭(まんじゅう)の餡(あん)の味は、食べてみなけりゃあ、わかりませんよ、旦那」

池波さんの作品を私が読むのは、この作家がいろんなタイプの女を、まるでそこにいるかのように書いて いるからだろう。お松もその一人だ。こういう女を描くとき、作者はそれを楽しんでいるように思われる。

しかし、本当はそうではないだろう。池波さんは『剣客商売』に骨身を削られたのだ。読者を楽しませよ うとして、一作一作に心血を注いだ。池波さんはたんに女を書きわけたのではない。人間の不思議を女を通し て書いたのだと思う。

池波さんのノートにはつぎのようなことが書かれてあった。(「小説新潮」一九九二年五月号)
「人問の心底のはかり知れなさ」
 これは『剣客商売』のテーマではないか。池波さんが人間の心の底のはかり知れなさをつねに書いていたから、 私も『剣客商売』を読むのである。『春の嵐』に仕掛けられた謎はたしかに大きい。それで小説はいっそうおも しろくなっている。だが、その背後には、秋山小兵衛にもわからない人間という謎がある。小兵衛はそのことを 知っている。

『春の嵐』の結末はかならずしも明るくない。桜はすでに散ってしまって、新緑があざやかで、「老(おい) の鶯(うぐいす)」が鳴いているが、秋山小兵衛の心ははれない。これもまた作者の心境の反映だろうか。

『剣客商売』には、小兵衛とおはるが住む鐘ケ淵の家に春の日がさしこみ、すると暗雲がたちこめてきて、 それがまもなく去って、再び明るい日ざしが隠宅にさしてくるといった印象があった。はじめはたしかにそう だったのであるが、作者が小兵衛の年齢に近づくにつれて、陰影に富んだ結末になってくる。それが私には痛々 しく感じられる。

(平成五年七月、作家)

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