「剣客商売」隠れ蓑秋山小兵衛は九十すぎまで生きることになっている。『剣客商売 隠れ蓑』では冒頭の「春愁」で刀屋の嶋屋孫助 に年齢をきかれて、「六十をこえたことは、たしかじゃよ」と答えた小兵衛は、「ならば、あと三十度は、桜花(はな) をごらんになれましょう」と言われる。

秋山小兵衛が、九十余歳まで長生きするとひとから言われたのは、その日がはじめてだった。『剣客商売』七冊目 のこの『隠れ蓑』まで、小兵衛にとっては死は遠いかなたにあって、まことに元気があり、親子ほども年齢のはなれた おはるに、「久しぶりで背中のながしっこをしようか」と風呂に誘うのである。

じつに春風駘蕩(たいとう)としている。読者から見れば、秋山小兵衛は羨(うらやま)しいみぶんである。河畔 に隠宅をかまえ、息子は立派な剣客に成長して、美貌(びぼう)の女剣士を嫁にもらい、本人には若い女房がいて、金 の心配もなく、思いわずらうことは何一つない。

しかも、小兵衛は周囲のひとたちにとっては神のごとき存在である。どんな難事件も自らの剣と英知とで解決して みせる。それでいて、傲慢になることはなく、金の遣い方を心得ていて、人情の機微にも通じている。

どこといって欠点もなく、だから、市井の神さまなのであるが、人びとから手の届かぬ小兵衛ではない。「春愁」 では嶋屋が「御新造(ごしんぞ)さまが、まだ、お若いのに」と言えば、この老剣客は大いに照れて、「それをいうな。 はずかしいではないか」と人間臭い魅力にあふれている。

『隠れ簑』は『剣客商売』のシリーズのなかでも最も春風駘蕩とした物語が集まっている。「大江戸ゆばり組」では、 絵師の川野玉栄に小兵街は言っている。「毎日が退屈になるばかりでござるなあ」

だから、「たまさかには、こうした事件が起ってくれぬと」、生きているたのしみもない。こうして、小兵衛のも とに「こと」が舞いこんでくる。これは『剣客商売』全体にいえることだろう。はじめは、小兵衛は受身なのである。 金についても受身であって、金銭についてはおそろしく悟淡(てんたん)としているのに、小兵衡は経済的に不自由す ることがない。たぶん、あまりに悟淡としているが故に、お金のほうで押しかけてくるかのようである。

「徳どん、逃げろ」では、小兵衛は自殺した金貸し、浅野幸右衛門の遺金、千五百両をあずかっている。自分の家が 盗賊に狙(ねら)われていると知ったとき、「こういうことがあるから、長生きをする甲斐もあるということよ」と小 兵衛は膝を叩かんばかりに喜んでいる。ついでながら、そのとき、読んでいる私も実は嬉しいのである。私まで千五百 両をあずかっている気分になってくる。

池波正太郎という作家は読者をいい気持にさせてくれるのだ。少なくとも私はいい気持になりたくて、『剣客商売』 を読むのである。本を読みたくない気分のとき、手にとってみるのが池波さんの小説なのである。これは、作者がいっと き私を秋山小兵衛になつたような気分にさせてくれるからではないかと思う。

めったに本を読まない人が池波正太郎だけは読む。『鬼平犯科帳』の第一巻をなにげなく読みはじめたら、やめら れなくなったという人たちがいる。『剣客商売』もそのようなシリーズであって、いわば後を引くのである。

シリーズを読みおえたら、それで終りかというと、そうではない。またはじめから『剣客商売』を読みはじめる。 物語がたんに面白いだけだつたら、一度読めば、それでおしまいである。

『剣客商売』をもう一度読んでみるのは、一体なんだろうと考えてみれば、一つは秋山小兵衛の特徴であるダン ディズムである。金ばなれのよさ、心づけのはずみ方に私などはうっとりする。

洲崎で鰻の辻売りをしている又六は「こんなにいただいたら困るですよ」と恐縮するほどの「ごほうび」をもら うし(「大江戸ゆばり組」)、「越後屋騒ぎ」では四谷の弥七、上町の文蔵の二人の御用聞きにそれぞれ金二十両をあ たえて、探索を頼んでいる。小兵衛が弥七や又六や茶店の老爺(おやじ)などに金をわたすシーンを読むのが、私は好 きである。

心づけをはずむというのはダンディズムの一つだろう、小兵衛はこのダンディズムを随所で発揮している。『剣客 商売』が豊かな、贅沢(ぜいたく)な印象をあたえるのは、小兵衛の気前のよさにある。

もう一つは、秋山小兵衛が弥七に語る言葉で知ることができるだろう。
「人間という生きものは、だれでも、勘ちがいをするのだよ。……ごらんな。太閤・豊臣秀吉や、織田信長ほどの英雄 でさえ、勘ちがいをしているではないか。なればこそ、あんな死にざまをすることになった。わしだってお前、若い女 房なぞをこしらえたのはよいが、それも勘ちがいかも知れぬよ」

強敵をつぎつぎになぎたおす老剣客がこういうことを言うと、私はほっとする。読者にしても同じ気持だろう。 この秋山小兵衡にして、と思えば、凡人は安心する。

「弥七。人の世の中は、みんな、勘ちがいで成り立っているものなのじゃよ」
 そういう勘ちがいを素直に認める寛容が、子供ではないかと思わせるほどに小柄な老剣客をいっそう大きく見せている。 息子の大治郎は大男だが、小兵衛のほうが「人の世の中」では大きく見えるのである。

私たちは年齢をとっても、秋山小兵衛のようにはなれない。家のローンがまだ残っているし、息子には嫁の来手も なく、女房は口うるさいし、老後は不安定であり、いつボケがやってくるかわかったものではない。はなはだ心もとない ところで一日一日を過している。心、づけを出すにも、迷いに迷い、それでくたびれてしまう。

だから、『剣客商売』を読むのである。なんども読んでしまうのである。そうして、安らぎを得る。

しかし、作者は『剣客商売』の一編一編に骨身を削り、心血をそそいだ。一つひとつの物語が見事な結末を持って いるのが、その何よりの証拠だ。

本書を再読する前に『池波正太郎の銀座日記〔全〕』を通読した。これは日記文学の傑作であると思うが、『剣客 商売』の豊かな感じが、日記からも十分にうかがわれた。池波さんは日記に映画や芝居を観たこと、旨いものを食べたこ とをしるされている。それは『銀座日記』にふさわしい豊かさである。その豊かさを惜しげもなく読者に提供している。

しかし、後半になると、いたましい気がしてくる。池波さんの体力の衰えていくのがだんだんにわかってくるのだ。 それが切ない。池波さんと親しかった人たちがつぎつぎに亡くなられ、それを日記にしるす池波さんの哀しみや苦渋が 行間から伝わってくる。

鬼平こと長谷川平蔵も秋山小兵衛も私には池波正太郎に見えた。鬼平の風貌は池波さんにそっくりだと思ったもの である。というのも、小兵衛の口を通して、鬼平を通して、作者は胸のうちを語っていたからである。

そして、鬼平や小兵衛のように、作者も不死身であるように思われた。銀座の煉瓦亭(れんがてい)でとんかつや ハヤシライスを召しあがる、あの健啖ぶりなら、芝の増上寺中門前二丁目に[御刀脇差拵所(わきざしこしらえどころ)] の看板を掲げる嶋屋孫助が小兵衛に言ったように、私がのほうが先へ、あの世へまいっておりますよ」と『剣客商売』の 作者に申しあげても、おかしくはなかった。

池波さんは亡くなられる数年前から、死について書かれることが多くなった。『日曜日の万年筆』や『男のリズム』 などのエツセー集でも死に触れている。うろおぼえだけれども、人は生れたときから死に向って歩んでいるといった意味 のことを書いておられて、それを読んだとき、私は不吉なものを感じた。その後も死について書かれたエッセイをいくつ も読んだ。『剣客商売』にも『鬼平犯科帳』にもそれが見られるようになった。こんど『銀座日記』を読みかえしたのも、 そのためである。

『隠れ簑』には死の影はなく、はじめに書いたように春風駘蕩としていて、そこから自然なユーモアが生れている。 それを私たちは楽しめばよい。

それに、本書では江戸の町が美しく描かれている。小兵衛がおはるを連れて出かけた深川について、「江戸であって、 江戸ではない……」一種の別天地だったと讃え、「深川は江戸湾の海にのぞみ、町々を堀川が縦横にめぐり、舟と人と、 道と川とが一体になった明け暮れが、期せずして詩惰を生むことになる」と書いている。

『剣客商売」には「詩情」がある。物語にどんな血なまぐさい「こと」があっても、各編にそれがみなぎっている。 秋山小兵衛は弥七や又六や為七(ためしち)を愛したように、江戸の町をこよなく愛したのだ。作者が江戸を愛して いたのである。

池波さんは東京がどんどん怪物になっていくことを嘆かれた。池波さんの数少ない現代小説である『原っぱ』は東京 への別れの言葉でもあった。

『剣客商売』を書くことによって、池波さんは江戸に生きたのである。池波さんの葬儀のとき山口瞳氏は弔辞のなかで、 池波さんは「江戸に長逗留」されたと言われた。名言であって、私などはとても思いつかない。

小兵衛が作者その人ではないかと思ったシーンが「越後屋騒ぎ」にある。「なんの、日ざかりの道を歩むのもよい ものじゃ。汗をたらたらとながしながら、な……」

夏の日ざかりの上野山内を歩く小兵街は汗をぬぐいながら、(むかしは、いかに暑くとも汗なぞ出なかったもの じゃが……)と思う。こういうなにげないシーンにも私は共感する。年齢をとってみないと、理解できないシーンであり、 それ故に、『剣客商売』はおとなの小説なのである。

(平成三年八月、作家)

inserted by FC2 system