「剣客商売」陽炎の男行きつけの酒場でひとりで飲んでいたら、となりの客が話しかけてきた。もちろん、酒場ではこういうことは べつに珍しくない。はじめて会った客同士が意気投合し、肩を組まんばかりにして、つぎの酒場へと出かけてゆく光 景もときどき見かける。逆に先刻まで仲よく話しあっていたのが、口ぎたなく罵(ののし)りあい、つかみあいの喧 嘩(けんか)をしていることもある。

その夜、私に声をかけてきた、まだ三十代はじめのひょろひょろした内気そうな青年はひとりでオン・ザ・ロッ クスを飲んでいた。彼とはおたがいに顔も職業も知っていたが、それまで言葉をかわしたことはなかった。酒場で顔 を合わせれぱ、目で挨拶してきたにすぎない。それに、いつもおたがいに誰かといっしょだったから、カウンターに となりあわせにすわっても、口をきく機会がなかった。

彼もひとり、私もひとり、ほかに客がカウンターのすみにいるだけだったからだろう、青年は親しげに、僕は池 波正太郎のファンですと自己紹介して、私に名刺をくれた。ファンというより池波キョウかなと彼が言ったのをおぼ えている。キョウは「狂」でもあり「教」でもあります、と彼は一人で笑った。釣ろれて、私も笑いだした。青年が 私に話しかけてきた理由がわかった。おたがいに、どこに住んでいるか、何を食べているか、子供が何人いるかはわ からないけれども、池波正太郎は共通の関心事であり、共通の話題である。

青年は、あなたのような翻訳者が池波正太郎のファンであるとはじつに意外だ、と言った。私が年の暮から正月 にかけて、また四月末から五月はじめの連休に『鬼平犯科帳』や『剣客商売』を読みかえすことを彼は知っていた。

気障(きざ)だとは思ったが、池波正太郎を読むのは、私は、楽しみと勉強のためですと彼に言った。たとえば、 「雨がやんだ」は「熄んだ」と池波先生は書く。少なくとも翻訳小説を読んでいて、「雨が熄んだ」という訳文を見 かけたことがない。では、ひとつ、そういう英文が出てきたときは、このおれが「雨が熄んだ」と訳してみようかと 思ったし、実際にやってみたこともある。しかし、池波正太郎の文体をひそかに仕事に生かしている翻訳者がそれこ そ意外に多いのではないか、と私は青年に言った。池波文学を読むことは翻訳者にとって文章の勉強になる。

それから一時問ばかり、私たちは『剣客商売』の作者の話をした。話は『剣客商売』から『食卓の情景』にまで 及んだことはいうまでもないだろう。『食卓の情景』についていうならば、あのエッセー集に出てくる神田の〔まつや〕 という蕎麦(そば)屋、あの店に来るお客の大半は池波さんのファンだと思いますよ、と青年は私に言った。私もと きどき夕方にのぞいてみるが、たいていほぼ客でいっぱいで、すると、親切な女店員が席をつくってくれる。その席 にすわって、店のなかを見まわしながら、客はたぶん先生のファンだろうと思う。そして、『食卓の情景』のほか、 先生のエッセー集が多くの人に読まれれば読まれるほど、この東京も少しはよくなるのではないかと思うのである。

その一時間ばかりのあいだに、私は青年にアメリカの雑誌でちょっと流行していることがらをしゃべった。それ はエシックスという言葉である。ある雑誌にはエシックスというコラムの連載があるほどで、それがまとまって、二 年ほど前に一冊の本になった。エシックスとは、倫理のことである。倫理というとこむずかしく思われるけれども、 しかし、池波先生のエツセーの数々は、実は倫理を語っているのではないかと思う、と私は青年に言ったのである。 英和辞典を引いてみると、エシツクスには倫理、道徳原理の体系、倫理学、道徳学といった堅苦しい言葉が並んでい る。しかし、やさしく解釈すれば、日ごろの身だしなみ、心がまえとそして生き方といったことだろう。

青年は私の話に賛成してくれて、僕は酒の飲み方や刺身の食べ方などを池波さんのエッセーで学びましたと言っ た。こういうこともエシックスのなかにはいってくるのではないだろうか。青年が「池波教」と言ったのも十分に理 解できる。

先生は、何ごともからだでおぼえた、とあるエツセーに書いておられる。それを読んだとき、なるほどと思った し、それならば自分にもできると思った。若い女性が『食卓の情景』を楽しく読んだと言ってきたので、思わず、な んど読みましたかと訊(き)いたことがある。もちろん一回ですという彼女の返事に、私は、一回だけでは読んだこ とにならないとおとなげないことを口にしてしまった。

なんども読むというのは、からだでおぼえることである。先生の小説を私がなんども読みかえすのは、素晴しい 日本語で書かれてあるからである。読むたびに、新しい発見があるからである。それは楽しみであり勉強である。

その夜、私は酒場にカンバンまでいて、青年と話をした。私は先に酒場を出たが、青年は便所にでもはいったの か、なかなか出てこなかったので、私はタクシーをひろって帰宅した。珍しくよい酒を飲んだという気のする一夜だっ た。ベッドにはいって、この解説を書くために、『辻斬り』を途中まで読んで、そのあと熟睡した。

『剣客商売』はいわば秋山ファミリーの物語である。第三集にあたる『陽炎の男』はこのシリーズの人気が定着 して、作者の筆がいよいよ冴えわたっている時期の七編で、読者にとっても秋山父子やおはる、佐々木三冬、四谷の弥 七、そして料亭〔不二楼〕などはすっかりおなじみになっている。

秋山小兵衛は鐘ケ淵(かねがふち)の隠宅を安永八年のあの「妖怪・小雨均」(『辻斬り』所収)の事件で焼失 し、橋場の料亭〔不二楼〕に仮住まいである。隠宅の全焼が佐々木三冬を通じて老中、田沼主殿頭意次(とのものかみ おきつぐ)の耳にはいると、意次はすぐさま三冬に金百両(約一千万円)を届けさせた。秋山小兵衛と親しい、亀沢町 に住む町医者、小川宗哲は小兵街に言う。

「あんたは金を手に入れるのもうまいが、つかうのもうまい。つかうための金じゃということを知っていなさる」
「そこへ行くと、さすがは秋山小兵衛先生。大金をつかんでも、たちまちこれを散らし、悠々として、小判の奴どもを あごで使っていなさるわえ」

秋山小兵衛はからだこそ小さいが、小川宗哲先生が感嘆するように、人問がじつに大きい。はじめに佐々木三冬が 小兵衛に夢中になり、おはるにやきもちを焼かせたのも無理はないし、私たちはそれを羨(うらやま)しく思うのであ る。逆に、「小判の奴ども」にあごで使われる現代の私たちは小兵衛の悠々たる生き方を羨しいと感じ、この老剣客に 生き方のお手本を見るような思いがするのである。

しかし、秋山小兵衛は完全無欠の男ではない。六十歳を過ぎて、娘ほども年齢のちがう百姓女に手をつけてしまっ て、この娘にせがまれて祝言をするのである。堅物の息子である大治郎もこれについて冗談を言うほどだ。この第三集 の第一話「東海道・見付宿」の冒頭、おはると大治郎の会話がおもしろい。春めいた雨の朝、不二楼に大治郎が訪ねて いくと、小兵衛はまだ寝ているが、おはるは起きている。

「あれ、若先生。まだ寝ているんですよう」
「おはるさん、いや母上……」
「母上は、いやですったらよう」
「だが母上は母上だ。父上と祝言をした人ゆえ」

『陽炎の男』はとくにユーモアがあるようだ。全体に春風飴蕩(しゆんぷうたいとう)とした感じがあって、一編 一編をゆっくり読みすすみながら、「まんぞく、まんぞく」とつぶやきたくなってくる。この第三集も季節感があふれ ていることはいうをまたない。「東海道・見付宿」は「その朝、いかにも春めいた雨が降りけむっていた」し、棟梁 (とうりょう)、富次郎の手で隠宅の工事が順調にすすむ「赤い富士」では、「桜もほころびかけ、どんよりと生あた たかい曇り空の何処かで、しきりに都烏が鳴いている」

表題作品の「陽炎の男」の時期は「桜も散ってしまい、日ごとに蘭(た)けてゆく春の或る日」である。ここで は佐々木三冬は恋する女であり、どこかで鶯が鳴いているとき、深いためいきとともに、ききとれぬような声で「大治 郎どの……」ともらすのである。『剣客商売』の魅力の一つは、大治郎と三冬がしだいに成長してゆく姿が各編であざ やかに、そしてほほえましく捉えられていることだ。大治郎と三冬の運命やいかにといった興味をもって、読者は読み すすむはずである。というのも、この二人は秋山小兵衛も驚くほどに純真で不器用であるからだ。

「嘘(うそ)の皮」では、小兵衛が「今年はじめて、苗売りの声をきいた」。真青な空、「頬を掠(かす)めて 燕(つばめ)が一羽、矢のように大川(隅田川)の方へ飛んで行くのを見送り」小兵衛は「もう、すぐに夏か……」と つぶやいている。そして、この一編からも、秋山小兵衛の人生哲学、いや工シックスが読みとれる。「真偽(しんぎ) は紙一重。嘘の皮をかぶって真をつらぬけば、それでよいことよ」

「兎と熊」の季節は初夏である。小兵衛は小川宗哲と小口茄子(こぐちなす)に切胡麻(きりごま)の味噌吸物や、 鰹の刺身などで酒を酌みかわしている。このように、『剣客商売』には季節感がある。その季節感は『鬼平犯科帳』ほ か池波先生のすべての作品にうかがわれる。これが、読んでいて、不思議に懐しい、ほのぼのとしたものに感じられる のは、季節がエシックスと同じく現代から失われつつあるからだろう。

『陽炎の男』をはじめ、このシリーズを八年前に夢中で読んでいたことを私は思い出す。不幸なことを忘れたいた めに読んでいた。ちょうど八月の暑いさかりだった。そのころ、『剣客商売』は慰めであり励ましだった。

(昭和六十一年八月、翻訳家)

inserted by FC2 system