「剣客商売」辻斬り『剣客商売』がはじまったころ、秋山大治郎は、荒川が大川(おおかわ)(隅田川)に変って、 その流れを転じようとする浅草の外れの、真崎稲荷明神社に近い木立の中へ、無外流の剣術道場をかまえて、 そこに独り住んでいる。父・小兵衛が、遠国へ修行に出て、四年後に帰ってきた大治郎のために、 廊下をへだてて六畳と三畳二間きりの十五坪の道場建ててやっつたのである。食事の仕度は、 近所に住む百姓の唖の女房おこうがしてくれる。

大治郎の生活はじつに単調で、住まいも殺風景であるが、一つの物語が終るたびに、少しずつ変ってゆく。 やがて、剣術の弟子もできるし、妻を迎えることにもなるのである。

大治郎の道場に近い橋場町から舟で六十八間余の大川を渡り、寺島村に着くと、田圃道の向うに堤が横たわり、 その堤の道を北へたどり、大川、荒川、綾瀬の三川が合する鐘ヶ淵をのぞむ田地の中の松林を背にして、 わら屋根の百姓家を改造した、小さな家がある。三間ほどのこの家に小兵衛が住みついて、もう六年になる。 このあたりは、、名所旧跡が点在して、四季おりおりの風趣がすばらしい。小兵衛はいま四十も年下の 若いおはるといっしょに住んでいるが、この隠宅はこの『剣客商売辻斬り』のなかの一編「妖怪・小雨坊」で、 火を放たれて、全焼してしまう。

田沼意次の妾腹(しようふく)の娘・佐々木三冬(みふゆ)は、神田橋の田沼屋敷を嫌って、 実母おひろの実家で、下谷(したや)五条天神門前の書物問屋[和泉屋吉右衛門(いずみやきちえもん)]が 持っている根岸の寮(別荘)に、老僕の嘉助(かすけ)に傅(かしず)かれて暮している。三冬の伯父にあたる、 江戸城や上野の寛永寺へも書物をおさめているほどの大店(おおだな)の主人・和泉屋吉右衛門は、 女武芸者のこの姪をはらはらしながら見守っている。三冬が剣術をまなびはじめたのは七歳のころ、からだという。 いまは、恩師・井関忠八郎亡きあとの道場を守る[四天王]の一人である。

佐々木三冬の生いたちを秋山小兵衛に詳しく語ってくれたのは、上州・倉ケ野の生れで、いまは浅草・ 元鳥越(もととりごえ)町に奥山念流の道場をかまえた、生涯独身の剣客・牛堀九万之助(うしぼりくまのすけ) (四十一歳)である。『剣客商売』シリーズでは、牛堀九万之助は秋山父子をしばしばたすける名傍役(わきやく)の一人だ。

小兵衛の手足となって、貴重な情報をつかんでくる、まだ四十前の御用聞きの弥七は四谷・伝馬町に住んでいる。 彼は人柄のよくねれた男で、女房が[武蔵屋]という料理屋を経営しているところから、[武蔵屋の親分]とも呼ばれている。 お上の風を吹かせて、陰にまわると悪辣(あくらつ)なまねをする御用聞きが多いなかで、珍しく弥七は人望が厚い。 小兵衛が四谷に道場をかまえていたころ、弥七は剣術の稽古に熱心に通っていた。小兵衛はこの探偵を深く信頼しているし、 弥七も老剣客を深く尊敬しているが、こんなことも小兵衛に言うのである。

「女を抱くときの、差す手、引く手も剣術の稽古だとおっしゃいましたのは、どなたさまでございましたかね」
「三冬の乳房」ではじめて登場する下っ引きの〔傘徳(かさとく)〕こと、傘屋の徳次郎は弥七に頭があがらない。 弥七は徳次郎の恩人なのである。彼の経歴は『剣客商売辻斬り』ではまだ明らかにされていないが、 「婚礼の夜」(『剣客商売陽炎(かげろう)の男』所収)で知ることができるだろう。

『剣客商売』では、本所・亀沢町に住む町医者・小川宗哲(おがわそうてつ)の存在も欠かせない。 小兵衛と宗哲の親交はすでに十五年におよんでいて、〔碁がたき〕でもある。七十歳を過ぎて、 かくしやくとしている宗哲は、本所界隈(かいわい)で評判がすこぶるよろしい。身分の上下にかかわらず、 その行きとどいた診察と治療に変りがなく、小兵衛が剣の名人であるように、名医なのである。 小川宗哲は小兵衛の理解者であり、小兵衛の人柄を見抜いている。以下の小兵衛と宗哲の会話 (「不二楼(ぶじろう)・蘭の間(らんのま)」)が面白い。

「この医者という稼業(かぎよう)は、やり方しだいで、いくらでも金が儲(もう)かるのじゃよ」
「ははあ……」
「何も彼(か)も知っているくせに、小兵衛さん、惚(とぼ)けていなさる。剣術だってそうやないか。 現に、いまのあんたは、うまいことしてるがな」
「こりやあ、どうも……」
「けれど、あんたは金を手に入れるのもうまいが、つかうのもうまい。つかうための金じゃということを知っていなさる。 わしもそのつもりじゃ-…」

また本所で「生き神さま」ともしたわれる小川宗哲はそのあとでこうも語っている。

「わしが金を恐れ、金を避けているにすぎないのじゃよ。/そこへ行くと、さすがは秋山小兵衛先生。 大金をつかんでも、たちまちこれを散らし、悠々として、小判の奴どもをあごで使っていなさるわえ」

小川宗哲のこの言葉は、『剣客商売』の、そして秋山小兵衛の魅力をみごとに語っている。 小兵衛はお金に不自由しないし、金ばなれがじつにきれいだ。おはるの父親、関屋村の百姓・岩五郎がびっくりするのも 不思議ではない。彼は女房に言う。
「それにしてもよ、あんな小(ち)っぼけな爺さんの剣術つかいが、よくまあ、あれだけの暮しをしているもんだ。 ふしぎでなんねえ」

小兵衛自身は、戦のない時代が百何十年もつづいたことについて、息子の大治郎にふと洩らしている。
「さむらいの腰の刀(もの)も……そしてな、さむらいの剣術も世わたりの道具さ。そのつもりでいぬと、 餓死(うえじに)をする」
 なればこそ、「剣客商売」なのである。

さて、『剣客商売』の登場人物紹介をつづけよう。
 一人は、「悪い虫」に登場する辻(つじ)売りの鰻屋(うなぎや)の又六である。このころは、 鰻は高級な料理ではなかったことが、この一編で知ることができる。「顔と体で正月のお供(そな)え餅を 彷彿(ほうふつ)とさせる」又六は秋山父子に剣術をおそわったことを深く恩に着て、ときどき 旬(しゅん)の魚をもって、鐘ケ淵の隠宅を訪れるようになる。

小兵衛がなじみの料亭、浅草・橋場の[不二楼(ふじろう)]の料理人・長次と座敷女中のおもと (二人は、小兵衛の口ききがあったのか、夫婦になり、駒形堂(こまかたどう)裏に小兵衛の命名になる 〔元長(もとちよう)〕を開く。いまでいう小料理屋である)。ここの主人の与兵衛。小兵衛とおはるは、 家を焼かれたあと、不二楼を仮り住まいにする。与兵衛は懇願する。
「……秋山先生なれば、一生涯うちに居ていただきたいほどでございますよ」
 小兵衛は不二楼においても優雅な生活を送っている。離れ屋の寝床から午前十時ごろに起きだし、風呂場へ行く。 その間に、おもとが雨戸を開け、部屋の掃除をする。
「冬の名残りが暁闇(ぎようあん)の冷えにあり、それが夜明けと共にぬくもり、あたりが明るくなるにつれて、 しだいに春めいた陽ざしに変ってくる」――これは池波節であって、『剣客商売』では、季節が大切にされている。 だからこその、春も浅いころの、「朝寝はなんともいえぬ」という小兵衛のよろこびが読者にじかに伝わってくる。

それから、本書のはじめの一編「鬼熊酒屋」の文吉とおしんの若夫婦。この夫婦もまた小兵衛を頼りにしているし、 小兵衛のほうもなにくれとなく二人の世話を焼き、また、鬼熊酒屋をひいきにしている。本所・横網(よこあみ)町 にあるこの居酒屋は、『剣客商売』シリーズではしばしば「舞台」になっている。

ここに紹介した登場人物は、秋山小兵衛のいわば身内といってもいいだろう。佐々木三冬の紹介で、 秋山大治郎に弟子入りする飯田粂太郎(いいだくめたろう)少年も身内である。彼らは秋山小兵衛の世界に住む人たちである。 小兵衛が大事にしている人たちである。小兵衛に選ばれた人たちでもある。小兵衛は人との接し方について、 「老虎(ろうこ)」で語っている。
「わしはな、大治郎。鏡のようなものじゃよ。相手の映りぐあいによって、どのようにも変る。黒い奴には黒、 白いのには白。相手しだいのことだ。これも欲が消えて、年をとったからだろうよ。だから相手は、このわしを見て、 おのれの姿を悟るがよいのさ」

秋山小兵衛は端倪(たんげい)すべからざる人物である。小兵衛は敵に「ふわり」と、あるいは 「微風のごとく」近づいてゆく。次の瞬間、敵は小兵衛に「どこをどうされたものか」たおれるか、気絶している。 小兵衛は「天狗さま」のような剣客である。すなわち、スーパーマンである。

そのような秋山小兵衛が、娘か孫のようなおはるとたわむれる。彼がときおり苦笑を浮べて、 自嘲(じちょう)の言葉をもらすのもうなずける。しかし、そこにおいて、秋山小兵衛はまことに人間くさい男なのである。 周囲の人たちもそんな秋山小兵衛をあたたかくみつめる。

『剣客商売』を読み、いま『剣客商売辻斬り』を読めば、少なくとも私などはいよいよリッチな気分になる。 実は、この拙文を書くにあたって、『剣客商売』を読みはじめたら、やっぱり途中でやめられなくなり、 十三冊全部を読んでしまった。そして、十分に堪能(たんのう)したとき、最新作の『暗殺者』が発売されて、 これも読んでしまった。楽しかった!

『剣客商売』を読んでいると、秋山小兵衛と池波先生とがかさなることがある。先生が小兵衛にたくして、 心情を吐露されていると思うことがよくある。
 秋山小兵衛は、男の一つの理想像だ。枯淡の域に達しながら、しかし、若い女を相手にして、 ちょっとやにさがっているところなど、羨(うらや)ましいかぎりである。けれども、秋山小兵衛の生き方、 というよりライフスタイルは、私に言わせれば、ハードボイルドである。小兵衛はハードボイルドなヒーローである。 そして、息子の大治郎もその父に近づこうとしている。

(昭和六十年二月、翻訳家)

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