剣客商売『剣客商売』は池波先生のほかの作品と同じく、読みはじめたら、途中で、つまり二冊とか三冊とかでやめるわけにいかなくなる。
最新作『暗殺者』までの十四冊をそれこそ一気に読みとおしてしまうだろう。
老剣客・秋山小兵衛が住む小さな世界はじつに魅力的で、第一話の「女武芸者」から私たちを引きこみ、つぎの「剣の誓約」に期待させ、第二話を読めば、第三話の「芸者変転」が読みたくなる。

『剣客商売』の連載は「小説新潮」で昭和四十七年一月号からはじまった。そのときからの、私は愛読者である。
そのころすでに、『鬼平犯科帳』が大好評だったし、この年には『剣客商売』より二月ほどおくれて、これまた評判の『仕掛人・藤枝梅安』の雑誌連載を先生ははじめられている。

『剣客商売』はその第一回から「小説新潮」に昭和四十九年十二月号まで三年にわたり毎号掲載された。
(昭和五十年以降は断続的に掲載されていて、『春の嵐』と『暗殺者』はともに長編である)これはもう素晴らしい筆力であるが、
先生ご自身も秋山小兵衛や彼の若い妻のおはる、息子の大治郎、そして女武芸者の佐々木三冬(みふゆ)などを書くのを十分に楽しまれたのではないかと思われる。その楽しい感じが私のような読者にもそのまま伝わってくる。
そういう小説のシリーズの解説を書いたりすると、読者の楽しみを奪ってしまうのではないかと私はいま心配している。
だから、私は一読者として気がついたことをいくつか書きとめるにとどめたい。

『剣客商売』は、安永六年の暮からは↓まっている。剣と人生の達人ともいうべき秋山小兵衛はときに五十九歳であるが、
「女武芸者」の事件は年を越してしまうのだから、「この世の中の裏も表もわきまえつくした」小兵衛が六十歳になったときに、
物語がはじまったといってもいい。このころ、小兵衛の息子で、道場をかまえても弟子が一人もいない、
毎日、根深汁(ねぶかじる)ばかり食べている大治郎は二十五歳。

大治郎は、父親とは対照的な剣客である。父・小兵衛は融通無擬(ゆうずうむげ)で、「汗の出し入れなど、わけもないこと」だし、孫のような若いおはるを得て、気楽な隠居暮しなのだが、息子から「父上も物好きな……」とひやかされると、「六十になったいま、若い女房にかしずかれて、のんびりと日を送る……じゃが、男というやつ、それだけでもすまぬものじゃ。退屈でなあ、女も……」という感慨を洩らすのである。

大治郎はそういう父の小兵衛を尊敬し理解しながら、父の「風雅な」老後の生活にとまどっているところもある。
普通の父親と息子の関係とは正反対なので、そこになんともいえない可笑(おか)しさが生れてくる。
なにしろ、若いおはるは小兵衛より四十も年下のまだ二十歳だから、大治郎よりも若い。
おはるは大治郎を「若先生と呼び、大治郎はおはるを「母上」と呼んでいる。

四年間、遠国(おんごく)をまわって、剣の修行を積んできた息子.大治郎に小兵衛は告白する。

「下女のおはる、な……。あれに手をつけてしまった。いわぬでもよいことだが、お前に内密(ないしょ)もいかぬ。ふくんでおいてくれ」

「天狗」のような、そしておはるの父親、百姓の岩五郎が「あんな小(ち)っぼけな爺さんの剣術つかい」という秋山小兵衛が「おはるの揚(つ)きたての餅のような肌身を手ばなすつもり」がなくなったのは、
これも大治郎に語ったことであるが、「このごろのおれは剣術より女のほうが好きに」なったからである。
そして、「あるとき、離然(かつぜん)として女体(によたい)を好むようになって、な。お前が旅へ出たのち、四谷の道場をたたんで剣術をやめたことは、やはりよかった」と小兵衛に言われても、その「女体」に 二十五歳の今日まで一度も接したことがない大治郎には理解できることではなかった。

そうではあるが、小兵衛は自分自身を厳しくみつめる老人でもある。『剣客商売』を読みすすめば、わかることであるが、この老剣客は彼自身をからかうような一言葉をしばしぱ口にしている。
ほんとうに、食えない爺さんなのである。秋山小兵衛のような剣客が出現したのも、将軍徳川家治(いえはる)から深い寵愛(ちようあい)をうけている老中田沼意次(おきつぐ)の時代であったからだろうか。
田沼意次の時代は、俗にいえば、金権政治である。しかし、『剣客商売』の作者は、田沼時代をかならずしもそうはみていない。

『剣客商売』のなかでは凛々(りり)しいヒロインの佐々木三冬は田沼老中の妾腹(しようふく)の娘で、それ故に父親を敵視し、「父が、もっと別のお人でしたら」と小兵衛に打明けている。
私事を申しあげて恐縮であるが、私は佐々木三冬の大ファンであります。
彼女が主役をつとめる「その日の三冬」(『剣客商売勝負』所収)は『剣客商売』シリーズのなかでもベストの一編である。

「三冬は、女武芸者である。

髪は若衆髭(わかしゅわげ)にぬれぬれとゆいあげ、すらりと引きしまった肉体を薄むらさきの小袖と袴(はかま)につつみ、黒縮緬(くろちりめん)の羽織へ四ツ目結(ゆい)の紋をつけ、細身の大小を腰に横たえ、素足に絹緒(きぬお)の草履(ぞうり)といういでたちであった。

さわやかな五体のうごきは、どう見ても男のものといってよいが、それでいて、
『えもいわれぬ……』
優美さがにおいたつのは、やはり、三冬が十九の処女(おとめ)だからであろう。

濃い眉をあげ、切長(きれなが)の眼をぴたりと正面に据え、蝦爽(さつそう)と歩む佐々木三冬を、道行く人びとは振り返って見ずにはいられない」

三冬の姿が眼の前に浮んでくるではないか。この「男女のことについてはまったく少女のごとき三冬」がやがて大治郎の妻になるのである。そのころには、秋山小兵衛に諭(さと)されて、父田沼意次への理解を深めている。
しかし、『剣客商売』のはじめでは、三冬は、父と政治を「汚ならしい」と思っている。そこで、小兵衛は言う。
「政事(まつりごと)は、汚れの中に真実を見出すものさ」

それでも、三冬にはわからない。剣術がまだ「三冬のいのちです」と言う美少女なのである。

小兵衛と大治郎が対照的であるように、おはると三冬もまたそうである。対照の妙といってもいい。
作者は登場人物をくっきりと描きわけているのだ。『剣客商売』を読んでいて、快さを感じるのは、一つには、そういうところにあるのだろう。

「寝そべっている小兵衛のあたまをひざに乗せ、耳の垢(あか)をとってやっている若い女は、この近くの関屋(せきや)村の百姓・岩五郎の次女でおはるというのだが、別に大女でもない。
だが、おはるのひざに寝そべっている小兵衛を見ると、まるで母親が子供をあやしているかのようであった。(中略)
『若先生が、見えたよ』
と、おはるは、まことにもってぞんざいな口調で、小兵衛へいいかける」

もう、これだけで、小兵衛とおはるの関係がわかってくる。春風騎蕩(しゆんぶうたいとう)という感じがして、自然に笑いがこぼれてくる。『鬼平犯科帳』の長谷川平蔵は実在したが、秋山小兵衛は明らかにフィクションである。
池波先生は「〔小兵衛〕とは、よくも名づけたものである」と「女武芸者」に書いておられるが、『剣客商売』の連載をはじめるとき、主人公である老剣客の名前のことで「頭を抱えてしまった」そうである。
『日曜日の万年筆』(新潮文庫)の「名前について」というエッセーで、先生はこのことに触れられている。

「小兵衛の性格については、いろいろなモデルがあるのだけれども、その風貌(ふうぼう)は 旧知の歌舞伎俳優・中村又五郎をモデルにした。
すっきりとした顔だちと、小柄で細身の小気味がよい躰(からだ)をおもい出しているうち、ようやくに〔小兵衛〕という名がついた」

のちに、その中村又五郎が帝国劇場の『剣客商売』で小兵衛を演じているが、池波先生にとっては、「このときほど作者がうれしかったことはない」
小兵衛の「いろいろなモデル」の一人は、『日曜日の万年筆』に劣らず素敵なエッセー集『食卓の情景』(新潮文庫)に出ていた。「長唄と芋酒」という一編である。先生がまだ少年のころ、長唄の稽古をしてもらっていた師匠のもとへ、三井清という老人が出入りしていた。株屋の外交さんだという。三井老人は唄もうまいし、三味線も弾いたが、他人の前では決して唄わない。風采(ふうさい)はあがらないし、身なりは質素で、深川の清澄町(さよずみちよう)に住み、「まるで娘か孫のような若い細君と暮して」いた。
「小さな家の中に猫が二匹。まるで役所の係長ほどの暮しぶりなのだが、金はうなるほどにあった。(中略)

三井じいさんと若い細君の暮しぶりは、……〔剣客商売〕の主人公で老剣客の秋山小兵衛と若いおはるの生活に、知らず知らず浮出てしまったようである」
秋山小兵衛、大治郎、おはる、佐々木三冬にしか触れていないが、『剣客商売』には、彼らをたすける江戸の市民たちが多数登場してくる。しかも、『剣客商売』の登場人物たちは一編一編において、季節や歳月を感じさせる。三冬は女らしくなり、小兵衛は老いてゆく。大治郎は父を見て、成長してゆく。
いま、小兵衛は六十歳だが、九十歳まで生きるのである。

若き日の秋山小兵衛については、上下二冊の『黒白(こくびやく)』で知ることができる。
これは傑作である。けれども、『黒白』からは、おはるを「いまに強(きつ)くなろうよ。
あのむすめ、おぼえが早くてなあ」と言う秋山小兵衛は想像できないだろう。ただ、「剣客というものは、好むと好まざるとにかかわらず、勝ち残り生き残るたびに、人のうらみを背負わねばならぬ」という小兵衛の覚悟は変っていない。

はじめに、秋山小兵衛が住む小さな世界と私は紹介した。それは、作者が『剣客商売』で、小兵衛を中心に一つのコミュニティ(共同体)を創りだしているということである。
小兵衛とその周囲の人たちを秋山一家と呼びたくなるような、まことにインチメート(水いらず)な世界である。

(昭和六十年二月、翻訳家)

inserted by FC2 system