アイリーン・ケリー

「アイリーン・ケリーと私  渋谷比佐子(訳者)」より

アイリーン・ケリーとの出会いは1994年、もう8年前のことになる(『グッドナイト、アイリーン』扶桑社刊)。第一印象は、さほど颯爽としたものではなかった。当時はヴィク・ウォーショースキーをはじめ、キンジー・ミルホーン、カーロッタ・カーライルなど、そうそうたる女性私立探偵が出そろった時期。

当時の書評ではこの3人と比較されたりもしたアイリーンだが、彼女は新聞記者で、プロの探偵ではない。巻き込まれるというより、首を突っ込むかたちで事件に関わっていく。ストレートで裏表がない、生一本といえば聞こえはいいが、裏を返せば自分勝手でおせっかいでおっちょこちょい、やることが危なっかしくて見ていられない。そのくせ、やたらに男たちにもてる。わがままで言いたい放題、それでもなぜかもてる女が実際いるものだけれど、そのあたりが当世の若者ふうに言うと、なんだかムカつく。というわけで、訳者としてはアイリーン・ケリーにあまり好感を持てなかったのだが、2作目3作目と訳しているうちに、不意に思い至った。

訳者の本分を忘れ、必要以上にアイリーンに肩入れしているからムカつき、苛立ち、ふと気がつくと、「ほれ、言わないこっちゃない」とか、「困ったもんだよ、ほんとに」とか、ぶつぶつつぶやいているのだ。はねっかえりの姪っ子が周囲の反対をかえりみず、危ないことに手を出すのを、ひやひやしながら見守っているおばさんのような気持ちと言ったらいいだろうか。そうこうするうちに、アイリーンは結婚もし、少しずつ年を重ね(第1作目ではまだ独身、そろそろ40代に踏み込もうとしていた)、若き日のあやまちをほろ苦く思い出したりするようになる。

かっとなりやすい性格は変わらないが、猪突猛進、体当たりだった初期に比べると、立ち止まって冷静に物事を考えるようになった。小言ばかりだったおば(?)も、最近は感心させられることが少なくない。こうなると、訳者としても、思い入れが過ぎて勇み足にならないように注意する必要がある。これまで2度、不明な点を著者のジャン・バークにメールで質問し、懇切丁寧な返事をもらっていよいよ親しみが湧いてきた。今後またこのシリーズを訳す機会があれば、アイリーンに必要以上に感情移入してはいけないと肝に銘じている。

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