アンドリュー・ダルジール

「名探偵ベスト101」村上貴史 編(2004)より一部抜粋

ヨークシャー警察の警視アンドリュー・ダルジールほど巨大な存在感を持つ名探偵はいない。そもそも物理的にでかいのだ。かつてラグビー選手だった巨躯は不摂生のせいで体重百キロに及ばんという肥満体となっている。顎も二重。口は悪く、勤務態度も悪い。罵倒の先は上司部下を問わず、冗談は下品な親父ギャグばかり。

こんな男の直接の部下がピーター・パスコーである。だが、上司に酷使されつつも(酷使されているので登場場面も彼がいちばん多い)、リベラルなインテリ刑事パスコーは、明らかにダルジールに一目置いているのだ。パスコーに輪をかけてリベラルな妻エリーもダルジールに好意を持っているし、顔が醜いと罵倒されてばかりのウィールド刑事も上司を尊敬しているのである。

そして読者も同様の好感を抱いてしまうのだ。奇怪にも。

当初は平凡だったダルジールの事件簿が重厚さを増したのは、第七長篇『薔薇は死を夢見る』からで、以降の作品は、『死にぎわの台詞』での「老い」、『子供の悪戯』での「親子」というふうに、一作一作、ひとつの主題をめぐって周到に織り上げられたものとなる。メインの事件も脇の小事件もパスコーらの人生の局面も、みなひとつの主題を共有し、主題を多角的に浮かびあがらせる。その結果、評論家・福井健太が喝破したように、ダルジールの事件簿は世界の全容を捉えようとする小説=「全体小説」の性格を帯びるわけである。

その最終場面で、ダルジールはメインの事件を解決してみせる。だがここで解決されるのは単なる一事件ではなく、世界を捉える全体小説の中軸をなす「要(かなめ)」だ。それを解決するダルジールは、作品全体=世界全体に「解決」をもたらすことになるのである。そのとき彼は、世界を俯瞰し、その因果の糸を把握し回収する存在=神のごとき偉容をみせる。リベラルなインテリの人間的限界をやすやすと超える神。厳格で偏狭な痩身の神ではなく、清濁併せ呑み、人間のすべてを抱擁する肥った神――。

ダルジールの事件簿は、その神としての歩みを追っている。ぜひとも順を追って読んでいただきたい。そうすることで、傑作『骨と沈黙』で神=ダルジールがみせる「選択」の衝撃と感動は鮮烈さを増す。そしてまた、それと対をなす『ベウラの頂』で人間的苦痛と憤怒に苛まれた末にダルジールがたどりつく幕切れも、より印象的に映るはずである――。

静かな崇高さを漂わせる宗教画のごとき幕切れ。そこでのダルジールは、いつになく小さく、天から俯瞰するように描かれている……。

(霜月 蒼)

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