ブロンクスのママ

「名探偵ベスト101」村上貴史 編(2004)より一部抜粋

ママは何でも知っている――そう、何でも知っているのが、ママなのだ。

ママの息子は、ニューヨーク市警殺人課の刑事であった。毎週金曜日、現在困っている事件について話す息子にママはアドバイスを与え、彼を事件解決へと導いていた。つまり、ママは安楽椅子探偵として息子に貢献していたのである。その後、妻に先立たれた息子が、市警を辞してメサグランデという田舎町に新天地を求めてからも、公選弁護人事務所で捜査官として活動する彼が抱え込んだ難問を解決してあげていた。

そのママの探偵としての特徴が、「知っている」という点なのである。推理するでも調べ出すでもなく、ましてやぶちのめすでもなく、知っているという点が。

だが、何でも知っているといっても、ママが博覧強記というわけではない。彼女が知っているのは、人間なのである。ユダヤ系アメリカ人である彼女は、もちろんユダヤ人コミュニティの顔ぶれを個々によく知っているし、メサグランデに転居した後も、程なくその土地の人々をよく知るようになる。そして、人間一般の特性もよく知っている。それ故に、事件の本質を自分のうちにある個別のサンプルと照らし合わせ、それをさらに一般化することで「犯人はこういう人物」という姿を描き出し、それを事件の関係者にあてはめることができるのである。そうすることで、彼女は犯人を見出すのだ。

しかしながら、単に人を知っているだけでは、こうした推理法で犯人を特定することは不可能である。事件の本質を見抜く目が必要不可欠であり、その目を、ママは持っているのである。事件の説明を行う息子が、その本質を見逃しているのとは対照的に。

本質を見抜く才能というものは、彼女がコミュニティの人々を知るうえでももちろん役立っている。特に、ニューヨーク市警で毎日のように職業上の接点で第三者的に遭遇していた事件ではなく、メサグランデという平穏で狭いコミュニティでの事件に向かい合った場合の息子の心境を、しっかりと理解するうえで役立っているのだ。だからこそママは、メサグランデで安楽椅子を一歩離れたのである。純粋に推理を行うだけではなく、息子の心を傷つけずに事件を決着させるため、「現場」に出向いて犯人を裁いたのである。

過保護かもしれないが、母親というのはいつまでたってもそうなのだろう。その意味で、探偵であるママに固有名詞が与えられていないのは、彼女が母親一般を象徴しているようで興味深い。

(村上貴史)

エラリイ・クイーンにジェイムズ・ヤッフェが見初められたのは、彼が15歳の時。EQMM誌に送った短篇ミステリがクイーンに認められてデビューしたのである。処女作を含む<不可能犯罪課>シリーズを計6篇発表した後、ヤッフェはママシリーズに着手する。だが、いずれのシリーズも雑誌の掲載だけで、米国ではなかなか本にならなかった。(『ママは何でも知っている』は20世紀末にようやく刊行)。

その影響からか、1968年のママの最後の短篇以降、ヤッフェはミステリ界と離れていたが、88年に20年の沈黙を破って長篇ミステリを、しかもママを主人公として発表し、世の中を驚嘆させた。

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