リンカーン・ライム

「名探偵ベスト101」村上貴史 編(2004)より一部抜粋

究極の安楽椅子探偵――それはリンカーン・ライムにもっともふさわしい称号だ。なぜなら、ライムは事故により四肢麻痺の状態にあり、首から上と左手の薬指をのぞけば動作可能な部分は皆無といっていい。無論、火急の用件でもない限りライムが自室から外界へおもむくことはめったにない。

必然的に安楽椅子形式による事件の解明をおこなうことになるのだが、ライムの場合、一般的な安楽椅子探偵の推理法――自分のあずかり知らぬ場所で起こった状況を、伝聞のみを手がかりに推論を構築する――とはことなるスタイルをとる。元ニューヨーク市警科学捜査部長だった経歴をもち科学捜査の専門家である彼は、関係者の供述――知覚した事実よりも、現場に残された物的な証拠物件を重要視するのだ。たとえば、犯人と思われる人物が事件現場に残していった砂粒ひとつから、その人間がどの場所を起点に行動範囲を広げているのかを確定してしまうといった具合に。『ボーン・コレクター』事件ではマンハッタンをたえず移動しながら犯行をつづける犯人を、顕微鏡のなかに見える手がかりをもとに執拗に追いつめていく。

もはや、ニューヨークにおいてライムの目を盗んで犯罪を行うのは至難の業だ。ただし、それは設備の整ったニューヨークだからであり、この科学捜査法には弱点がある。ライムが微細証拠物件と呼ぶ手がかりは、照合するサンプルがなければただのミクロな物体でしかないのだ。『エンプティー・チェア』でノースカロライナの田舎町を舞台にした事件にまきこまれたライムは、満足な物証をえられず、捜査は壁にぶつかってしまう。だが、ライムは進化する。豊富な手がかりから数式を解くような従来の方法論から、推測を飛躍させることで真実にアプローチする推理法をも我がものとしたのだ。最終的に彼は、安楽椅子探偵のごとき推論から、事件の裏にひそんでいた真の犯人をあばきだすことになる。犯人の「物証しか信じないんじゃなかったのか」というせりふは非常に象徴的である。

物証をもとにした捜査に加えロジックを駆使する推論を身につけた――リンカーン・ライムは進化する名探偵である。その進化にとって重要な触媒となるのが、公私にわたるパートナー、アメリア・サックスだ。ライムはつねに彼女から影響をうけ、内面に波紋を投じられている。『エンプティ・チェア』事件でライムが開眼したのも、愛するアメリアの危機を救わねばならないという想いからだった。なによりも、絶望的な境遇を苦にし自殺願望をもっていた彼に生きつづけることを選択させたのが、ほかならぬアメリア・サックスだったのである。

(小池啓介)

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