マルティン・ベック

「名探偵ベスト101」村上貴史 編(2004)より一部抜粋

マルティン・ベックが生きる世界は、皮肉なできごとに満ちている。

優秀な刑事たちの捜査網をかいくぐった犯罪者が、いつもヘマばかりしでかしているパトロール警官にあっさり捕まってしまう。五里夢中の状況で捜査を続け、ようやく犯人逮捕にこぎつけてから、実は犯人につながる情報がごく身近なところに転がっていたことが判明する(机の上をちゃんと整理していれば!)。ある事件の重要な目撃者が、実は別の事件の犯人だったりする。万全の防護策でプロフェッショナルの犯行を阻止したものの、素人がその穴をやすやすとすり抜けてしまう。……だが、これは決してコメディなどではないのだ。コメディだとすれば、もはや笑うに笑えないほどのブラック・コメディだ。

そんな世界に暮らすマルティン・ベックが初めて私たちの前に姿を見せたのは、1965年の『ロゼアンナ』だった。当時のベックは四十二歳。殺人課に勤務して八年、当時のスウェーデンで最も優秀な第一線の捜査官と評価する人も少なくなかった。もっとも、彼は神のごとき名推理などは披露しない。ただ丁寧に証拠を集め、事実を絞り込むという地道な作業の積み重ねだ。ベックが優秀と評されるのは、その粘り強さによるところが大きいのだろう。

ベックは、被害者の人間関係を入念に調べることが多い。被害者の人間関係の歪みを捜し出すことによって、解決の糸口を掴もうとするのだ。そのような、故人どうしの関係に着目するベックの目は、やがて社会と個人の関係に向かうようになる。

ベックが社会に目を向けるのは不思議なことではない。彼が扱う事件は、社会の大きな力に翻弄された個人が引き起こしたものであることが多いからだ。病んでいるのは社会であり、犯人を捕まえることは対症療法に過ぎない――後年のベックは、そんな思いにとらわれるようになる。警察機関そのもののひずみが顕になった事件を手がけてからは、その思いはますます強くなり、罪悪感にも似たものになってゆく。

警察官という職についているが、ベックは力を行使することを好まない。殺人課の一員として、力の行使が生んだ悲劇を常に目の当たりにしているからだ。だが、彼の職業は一定の力を用いることなしには職務を遂行できない。かくしてベックが味わう最大の皮肉がここにある――抑圧的な方法を好まない男が、抑圧的な手段を行使せざるを得ない組織の一員として働いている。

チャンドラーの表現を借りるならば、マルティン・ベックは「卑しい街を行く孤高の騎士」なのかもしれない――皮肉な社会でペシミズムに沈んでしまった、傷だらけの騎士ではあるけれど。

(古山裕樹)

マルティン・ベックのシリーズは、1年1作で10年間のスウェーデン社会の変遷を描こうという構想で書かれたもの。

作者ペール・ヴァールーとマイ・シューヴァルは夫婦で、エド・マクベインの87分署シリーズをスウェーデンに紹介した訳者でもある。

最終巻『テロリスト』の発表後まもなく、夫ヴァールーが死去したが、シューヴァルはその後も作家活動を継続する。だが2人の代表作は、やはりこのシリーズになるだろう。

映画化も実現している。舞台をアメリカに移した『マシンガン・パニック』は不評だったが、母国スウェーデンで製作された『刑事マルティン・ベック』は秀作と評されている。

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