ブラウン神父

「名探偵ベスト101」村上貴史 編(2004)より一部抜粋

ブラウン神父――ローマン・カトリックの神父である彼は、小柄で小太りな肉体にたぐいまれな叡智を宿している。そしてその叡智により、多くの事件を解決してきた。五感に飛び込んでくる物事のなかから、真に必要な情報を選別し、そして謎を解くのである。その視線は、他人には見えなかった人をもしっかりと捕捉するし(「見えない男」、『ブラウン神父の童心』所収)、その耳は犬の吠え声から殺人犯の行動を聞き取ってみせる(「犬のお告げ」、『ブラウン神父の不信』所収)。実際のところ、その人物を皆が見ているし、犬の声も皆が聞いているのだが、ブラウン神父の叡智のみが、その本当の姿を暴き出すのだ。

それら過去に解決してきた事件を振り返って、第四短編集の表題作である「ブラウン神父の秘密」のなかで、彼はこう述べている。「あの人たちを手にかけたのは、実は、このわたしだったのです」と。

名探偵がすなわち犯人だったのか、などと考えるのは早計。神父の発言の真意は、自分は犯人の心になりきることで、犯人を見抜いたというのだ。真犯人との違いは凶行に及ばなかったことだけなのである。

これがすなわちブラウン神父の推理法の特色であるが、では、彼は何故犯人の心に自分の心を重ねようとしたのだろうか。ブラウン神父がいうところの「科学」すなわち「外部からの吟味」ではなく、内側に入り込もうとしたところに、実は彼の本性が現れているのではなかろうか。

ブラウン神父は、「奇妙な足音」(ブラウン神父の童心」所収)において、「犯罪というものは、他のあらゆる芸術作品と変わりありません」と語っている。そして、彼が深く係わった探偵役や犯罪者たちも、同類の発言をしている。例えば、怪盗にして後に探偵になる男は「ぼくがいままでにやったいちばん美しい犯罪」といい、「芸術家のはしくれ」を自認している。(「飛ぶ星」より)。また、世界にその名を轟かせたある名探偵は「犯人は創造的な芸術家だが、探偵は批評家にすぎぬ」と語っている。要するに、彼ら三人には、犯罪は芸術という考えが共通しているのだ。そして、いみじくも件の名探偵が述べたように、芸術家とは創造的な存在であり、神父はその存在に自分を重ねていったのである(実際、初期のある作品においては、犯人を捕まえるためという大義名分こそあれ、ブラウン神父は犯罪者として行動している)。

ブラウン神父の世界において、最も創造的な存在であり、彼が己を重ねようと試み続けた対象とは――いうまでもない。神である。

(村上貴史)

inserted by FC2 system