ファイロ・ヴァンス

「海外ミステリ・ガイド」仁賀克雄著(1987)より一部抜粋

ミステリの黄金時代を築いた名探偵の一人に、ヴァン・ダインのファイロ・ヴァンスがいる。アメリカを代表する探偵が初めて現れたといってもよい。1926年「ベンスン殺人事件」で登場したヴァンスは35歳の男盛りだった。容姿は当時の人気スター、ジョン・バリモアばりで、面長な鋭角的顔と灰色の眼、細く尖った鼻、きりっとした卵型の顎を持つ美男子で、ハーバート大学を卒業後、オクスフォード大学院に留学し、ショーペンハウエルの学位論文で修士号を取っている。心理学から医学まで、エジプトやギリシャの美術史から語学まで精通している天才である。

しかも伯母の莫大な遺産で、ニューヨーク市東三十八番街の高級マンションに暮らし、趣味は世界的美術品収集と音楽。スポーツはフェンシングの達人で、ゴルフはハンディ3の腕前。ポーカーの名人で、コーヒーはトルコ・コーヒー、煙草は特別注文のレジー・シガレット、愛車はイスパノ・スイザ、最新流行のファッションを取り入れ、貴族趣味である。

これだけ並べれば、ホームズも思考機械もトータルではかなわない大変な人物である。従って作品中のヴァンスのペダントリーの講釈は、うんざりするほどウンチクを傾けている。この名探偵をすばらしい天才と感心するか、キザなアメリカの成り上がりと軽蔑するか、読者の趣味の問題である。作者のヴァン・ダインは友人兼記述者としてヴァンスと同居し、執事兼料理人にイギリス人を置いているところから見ても、ホームズやイギリスに対する対抗意識が十分である。マーカム地方検事やヒース巡査部長の依頼で、事件の解決に乗り出すこの素人探偵は、ミステリの通弊ながら、どの事件でも何人も殺されてから最後にやっと犯人を指摘するのは、実は迷探偵にすぎないと、あまりの完璧な人物像に対する皮肉もある。

inserted by FC2 system