ブリティッシュ・ミステリとアメリカン・ミステリ

nanikaさんのブログより

私のRSSリーダーに登録しているnanikaさんのブログ「本だけ読んで暮らせたら」にとても素晴らしい英国ミステリに関する記事があった。 nanikaさんの了解を得て、まるっと転載させていただく。

本だけ読んで暮らせたら

THE SECRET HANGMAN (2007) 『処刑人の秘めごと』  ピーター・ラヴゼイ/著、 山本やよい/訳、 ハヤカワ・ノヴェルズ(2008)

ミステリ小説の2大強国といえば恐らくアメリカとイギリスだろう。 この小説はイギリス産。

かつての黄金期と呼ばれた時代に活躍した英国の探偵達は、貴族趣味の (というか、探偵が貴族である場合も多い・・・)いけ好かない物言いをする輩ばかりだった。立ち位置も気に入らないし・・・。灰色の脳細胞を働かせるとか云うベルギー人なんてその最たるものだ。この灰色の脳細胞オジサン以外にもいろいろ挙げられるが・・・。まァ、時代の産物といってしまえば、そうなのかもしれないが・・・。

そんなこともあって、どうもミステリ小説としてのリアリティさとか、現代性といった点から、黄金期のイギリス産ミステリは、同時代のアメリカ産ミステリに比べてつまらなかった。鼻持ちならなかった、という言い方が正しいかも。。。

私の趣味からすると、圧倒的にアメリカン・ミステリに軍配が上がっていた。

しかし、現在のイギリス産のミステリ小説(以下、ブリティッシュ・ミステリ)の主人公達は、社会的階級の高い探偵(プライベイト・アイ)ではなく、警察官というパブリックな立場にあることが多い。社会的地位(階級ではない)が職業的な能力ともリンクする現代社会にあって、彼らの境遇やバックボーンは、ある程度のリアリティさが付されている。さらに、良くも悪くも極めて人間味に溢れた、感情的なキャラクター付けが成されている。リーバス警部然り、フロスト警部然り、この小説の主人公であるダイヤモンド警視然り、である。

現在、リアリティさ、同時性という点で、ブリティッシュ・ミステリとアメリカン・ミステリの間に大きな相違はなくなってきたように思える。

アメリカン・ミステリにおける探偵・警官達の内面描写では、ときに事件や捜査中の犯罪とは掛け離れた、個人的な問題に関する場合がある。ミステリ小説の本筋である犯罪捜査に関連するものとは直接関係のないことに対して心情を吐露していることがある。一種のキャラ付け、キャラ背景として、過去に起こったことに対するトラウマや苦悩などを主人公に事前に持たせている。もちろん、キャラクターに厚みを持たせるために、事件とは関係のない個人的背景を描くのは構わない。ただ、そこに焦点があたり過ぎていることが気になることがある。

一方、現代ブリティッシュ・ミステリにおける主人公達の内面に関わる描写は、事件捜査に携わる同僚や上司・部下、被害者やその家族、犯人やその家族、犯行の背景に存在する社会や文化など、に対するものの方に重心が乗っているように思う。警官達の思考過程や行動様式を緻密に描くことが直接的に事件解決(物語の終決)に至る道筋になっていることが多いように思えるのだ。これが重要だ。

当然、ブリティッシュ・ミステリの主人公達にだって、本筋とは関係のない、個人的な心情を吐き出す場面の描写がある。ただ、そこに焦点はあたらない。上品なサブ・ストーリーといった位置付けなのだ。

さらに、現代ブリティッシュ・ミステリがアメリカン・ミステリと決定的に異なるのは、主人公である警官達が自らの手で犯人を死に至らしめることがほとんど無いことである。これは、ブリティッシュ・ミステリの伝統と言ってもイイ。事件が暴力的に解決されることを潔しとしない風潮が流れているように思える。

もっとも、銃器の所持が一般人の権利として認められているアメリカが特殊なのであって、普通の国では銃器による犯罪は相対的に少ない。罪を犯す者が飛び道具を使わないのならば、警官側も対抗武器を所持する必要性も小さい。英国の犯罪捜査官達は通常、武器を携行しないそうだ。

だからなのか(?)、ブリティッシュ・ミステリにはアクションシーンが少ない。(英国で“アクション”を受け持つ小説ジャンルは、これまた伝統の「冒険小説」である・・・。)

アクションシーンが少ないせいもあって(ドンパチによる事件解決が実質上不可能なこともあって)、主人公警察官の思考の閃きや発想のジャンプによって、事件を解決させる方向に向かわなければならないのだ。そうした必然性が高いのが、現代ブリティッシュ・ミステリなのだろう。

そんな、現代ブリティッシュ・ミステリの中の傑作シリーズ、ダイヤモンド警視シリーズの第9作目が本作だ。

以下、「処刑人の秘めごと」の紹介へと続くのだ。

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