ガラスのなかの少女
著作名
ガラスのなかの少女
著者
ジェフリー・フォード
ジャンル
ミステリ
星の数
★★★
出版社
ハヤカワ文庫
原作出版
2005
備考

降霊会が開かれる邸で起きた不可思議な出来事。
数日前から行方不明になっていた少女の姿が、突如ガラスに浮かびあがったのだ……いんちき降霊術師ディエゴら一行は少女の行方を追い、彼女が謎の幽霊におびえていた事実を知る。
まもなく本物の霊媒師を名乗る美女の導きで、ディエゴらは少女の居場所に辿りつく。
そこで見たおぞましいものとは?
眩惑的筆致によるアメリカ探偵作家クラブ賞受賞作

訳者(田中一江)あとがきより抜粋
 主人公であり、ナレーターでもあるディエゴはメキシコからの不法移民で、両親を失い、兄とともに路頭に迷っているところをトマス・シェルという男にひろわれ、霊媒師の助手という一風変わった役割を果たすことになった。

時は1932年。アメリカが我が世の春を謳歌した「狂騒の二〇年代」から未曾有の貧困が国中を席巻した三〇年代初頭へと、まさに天国から地獄へ真っ逆さまに突き落とされた混乱の時代だ。しかし、この時代、庶民が仕事にあぶれて食べるものもろくにない貧しさに苦しんでいるのを尻目に、1920年にはじまった禁酒法を逆手にとって、アル・カポネに代表されるギャングばかりでなく、政治家や裏社会とつながりのある資産家たちも酒類の密造や密輸によって不法な金を儲けていた。

ディエゴと父親代わりのシェル、それにボディガード兼パートナーのアントニーの三人組は、そんな恥知らずな金持ち連中を相手に降霊会を催して金をしぼりとる、いわば詐欺師集団だ。

稀代のギャンブラーを父にもち、その天才的なテクニックを受け継いだシェルにとっては、人の心理を読んで想いのままにあやつるなど、お手のもの。しかし、いくら特権にあぐらをかく金持ち連中が相手とはいえ、じつのところ彼の心は人の弱みにつけこむ怪しげな生業ですこしずつ傷ついていた。助手というよりは、いまや息子とおなじように愛しい存在となったディエゴにおなじ轍を踏ませたくないと思ったシェルは……と、このつづきは本書を読んでいただくとしよう。

さて、ジェフリー・フォードの作品の魅力のひとつは、現実と虚構が分かちがたくひとつに融けあった小説づくりにある。

本書にも、各所に知る人ぞ知る人名や地名がちりばめられている。たとえば、タイトルにもなっている少女の父親がコナン・ドイルと親交があったらしいという記述が出てくるのだが、世界一有名な私立探偵シャーロック・ホームズの生みの親として知られるこのイギリスの小説家は、じつはオカルト研究でも有名で、一九世紀末から二〇世紀初頭のオカルト関係の書籍には必ず名前が登場するのだ。そうした人名をさりげなく混ぜこむのは、むろん小説に現実味をあたえるためだろう。さらに、くわしいことはここで種明かしができないのだけれど、作中にはモーガンとマーリンというふたりが登場する。彼らの名前は、アーサー王伝説のなかで大きな役割を果たす魔術師マーリンと、アーサーの姉である妖女モーガン・ル・フェイからとられたものだ。なぜそうなのかは、物語を読み進むとわかるしかけになっているので、お楽しみに。

また、メキシコ人であるディエゴが仕事のためにインドの聖者の演技を習いに行くコニーアイランドという土地も、とくにニューヨーカーにとっては郷愁を誘うひびきのある地名だろう。マンハッタンにほど近いこの場所は、そのむかし、遊園地や海水浴におとずれる客でにぎわったレジャースポットだった。作中でも「ネイサンズのホットドッグを食べた」という文章が出てくるが、このネイサンズこそホットドッグの老舗で、日本人フードファイターの小林尊は毎年ここのホットドッグを山ほど平らげてアメリカ人の度肝を抜いている。

このように作中に登場する人名、地名のなかにはアメリカ人には常識というのも多いだろうが、そうでないものについても、フォードは説明めいたことをいっさいしない。わからなくても楽しめるし、現実のような顔をしてさりげなく入れこまれている創作上の人名地名も多々あるからだ。まるで、読者をまやかしの世界にいざなうかのように……。

フォード作品のもうひとつの魅力である登場人物のキャラクターについていえば、断然、シェルのたよりになる相棒アントニーに触れておかねばなるまい。ディエゴにとっては、師匠であるシェルとちがって、なんでも相談できる気のおけないおじさんといった人物なのだが、アントニー・クレオパトラという人を食った名を名乗るこのサーカスあがりの巨人は、あるときはおかかえ運転手、あるときはレスラー、そのじつ気はやさしくて力もちを地でゆく好人物だ。シェルの窮地を救うべく、彼とサーカス時代の仲間たちが繰り広げる痛快かつ爆笑の一大作戦も本書の読みどころ。真剣なシーンなのにどこかとぼけておかしいというのがフォード独特のユーモアで、ディエゴもその被害(?)を受けて、せっかく恋人といいところまでいきながら……おっとっと、これ以上はいえません。


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