備考

ロンドンには軽い霧がたちこめていた。

証券取引所のドアがひらいて、会員たちが一日の取引をおこなう立会場に入るために列をなして入ってきたとき、冷たいブルーの目に青白い顔をした若い男もそのなかにまじっていた。ケープを脱いで、そのケープと金の握りのついたステッキを玄関番にあずけていた。仲間の会員ニ、三人と握手をしてから、自分のブースに入った。

イギリスの軍事国債の売値が大幅に下落しているため、相場は売り一色だった。戦況はひどかった。噂によると、プロセインの陸軍元帥ブリュヘルは戦死し――彼の軍隊はリニーでフランス軍に破れていた――アーサー・ウェルズリー、すなわちウェリントン公爵はカトルブラで厄介な雨に足止めされ、重砲兵部隊をぬかるみから救いだすこともできない状態とのことだった。

連合軍の旗色は悪そうだ――ウェルズリーに率いられたイギリス軍がプロセイン軍と同じく短期間のうちに敗北を喫したら、エルバ島から脱出してわずか三ヶ月のナポレオンがヨーロッパにまたしても確固たる地盤を築くことになるだろう。そして、莫大な軍事資金調達のために再発行されたイギリスの軍事国債は一文の値打ちもなくなってしまうだろう。

しかし、この部屋には一人だけ、もっと新しい情報を持った男がいた。青白い顔をした若い男は自分のブースでそっと立ちあがり、手に入るかぎりの軍事国債を買いあさった。彼の判断が狂っていたら、彼も彼の一族も破滅だ。しかし、彼の判断は情報にもとづいたものであり、情報は力であった。

ヘントで、彼はワーテルローの戦場からの使者が到着して、長身のがっしりした男の前に、まるで君主に対するようにひざまずくのを目撃した。その単純な動作が、戦いに勝利をおさめたのはイギリスであることを示していた――みんなはフランスが勝ったと思っているが、そうではないのだ。なぜなら、ヘントにいた長身の男の名は、プロヴァンス伯ルイ・スタニスラス・グザヴィエだったからだ。彼はフランス国王ルイ十八世として全ヨーロッパに知られ、成り上がりものの者のナポレオン・ボナパルトによって百日前に退位させられていた。

しかし、そうした情報はすばやく効果的に使ってこそ威力を発揮する。海峡で破滅や死の恐怖に立ち向かったのち、若い男はワーテルローでのフランス軍敗北の知らせが広まるわずか数時間前に、ここロンドンの証券取引所に到着したのだった。しかし、数時間にわたる取引が終わろうとするころ、彼は価値の下がった軍事国債を大量に買いこんだことで、かなりの注目を集めていた。
「まったく――あのユダヤ人め、今日は何を企んでおるのだろう。軍事国債を買いあさったりして」取引所の会員の一人が別の会員にいった。「リニーでブリュヘル元帥が敗北を喫した知らせをまだ聞いとらんのだろうか。半分に減った軍隊で戦争に勝てるとでも思っておるのだろうか」
「きみも彼にならって買いにまわったらどうかね。わたしはすでにそうしたよ」相手が冷静に答えた。「これまでの経験からいってるんだ。彼の読みはつねに正しい」

ワーテルローの知らせがついにロンドンに届いたとき、若い男が軍事国債を残らず買い占めてしまったことが、すぐに明らかとなった――額面の一割以下の値で。

ロスチャイルドの買いの動機をいぶかしがっていた男は、ある朝、当の若き同僚が取引所に入ってくるのに出会った。
「これはこれは、ロスチャイルド」男は彼に声をかけて、相手の肩を暖かく叩いた。「例の軍事国債のお手並みはじつにあざやかだった。わずか一日で百万ポンド以上の利益をあげたという噂だが!」
「そうですか」相手がいった。
「昔からよくいうじゃないか――きみたちユダヤ人には金儲けのチャンスを嗅ぎつける才能があって、だからそんな大きな鼻を持ってるって!」男は笑った。彼のほうが相手よりはるかに大きな団子鼻をしているくせに。「しかし、わたしが知りたいのは――ご本人の口から直接聞きたいんだが――あれは本当にユダヤ人の直感だったのかね。それとも、ウェリントンが勝利を手にしたことをロンドンじゅうの誰よりも早く知っていたのかね」
「知っていました」冷たい笑みを浮かべてロスチャイルドはいった。
「知っていた! しかしまあ、どうやって……小鳥が教えてくれたとか?」
「まさにそのとおりです」ロスチャイルドが答えた。


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