すべては死にゆく
著作名
すべては死にゆく
著者
ローレンス・ブロック
ジャンル
ハードボイルド
星の数
★★★
出版社
二見書房
原作出版
2005
備考
訳者(田口俊樹)あとがきより

ファン待望のマット・スカダー・シリーズの最新作をお届けする。
“ファン待望”というのはシリーズものの枕詞かもしれないが、この最新作については普段にも増して首を長くして待っておられたスカダー・ファンも少なくないことだろう。前作から本作発表まで四年もかかったという時間だけのことではない。罪と罰になんらかの形で私的な折り合いをつけるのが本シリーズの大きな読みどころのひとつなのに、前作『死への祈り』ではそれが何も提示されておらず、結末もいかにも尻切れトンボだったからだ。前作を訳したときには、それが訳者はどうにも気になった。が、ようやく本書が出て、正直なところ安堵もし、納得もした。この『すべては死にゆく』は前作の続編というより、むしろ後編と言うべき作品である。二作合わせてひとつのまとまった長編になっている。

また、前作で気になった三人称視点も本作と併せ読んでこれまた納得させられた。前作の訳者あとがきにも書いたとおり、一人称視点の“語り”というのは伝統的な私立探偵小説の逃せない読みどころだ。それを崩してまで三人称視点を織り込むことの効用に疑問を覚えたのだが、前作、本作と通して読み返すと、ほとんど違和感を覚えなかった。いや、むしろ今回の悪玉――“彼”のとんでもなさを描くには一人称視点ではどうしても限界があり、こうするしかなかったのではないかとさえ思えてきた。長年の訳者としたことが巨匠に対してよけいな、僭越な心配をしたものである。

本書でシリーズ第十六作、旧作への言及はこれまでの作品でも見られないわけではなかった。が、本書ではそれがきわめて多い。いくつか拾ってみる。

レイとは五月に毎年恒例の<三十一人の会>で会っていた(20ページ)――<三十一人の会>というのは『死者の長い列』に登場する不思議な会のことで、レイ・グリルオウとはこの会で出会う。

モットリーはエレインを刺し、彼女は危うく死にかけた(260ページ)――いわゆる倒錯三部作の第一作『墓場への切符』に出てくる異常者、ジェイムズ・レオ・モットリー。本シリーズには個性豊かなさまざまな悪玉が登場するが、モットリーはそんな中でもことさら印象深い。本書の中でスカダー自身も語っているが、結果的にシリーズの行方を大きく左右したキャラクターと言える。

あのコロンビア人がなたを持って襲ってきたとき、どんな気持ちがした?(326ページ)――本シリーズの最初の頂点と言える『八百万の死にざま』では、スカダーは自らを囮にして、姿の見えないコロンビア人の連続殺人鬼をおびき出す。

それからもずっと危険を冒してる。あなたとミックでミックの農場へ向かったときも(326ページ)――これは『皆殺し』だ。ミック・バルーへの友情から、スカダーはギャングの抗争に決着をつけるべく、ミックとたったふたりで農場に向かう。

場面が場面とはいえ、きわめつけは407ページから410ページにかけてだ。シリーズ・ファンには懐かしい名前が次々に列挙される――『一ドル銀貨の遺言』のスピナー・ジャブロン、中篇『窓から外へ』のポーラ・ウィットロウアー、『冬を恐れた女』のポーシャ・カーとジェリー・ブローフィールド、『聖なる酒場の挽歌』のスキップ・ディヴォーとボビー・ラズランダー、短編『夜明けの光の中に』のトミー・ティラリーとキャロリン・チータム、『死者との誓い』のリサ・ホルツマン、『獣たちの墓』のピーター・クーリーとフランシーン・クーリー、『処刑宣告』のエイドリアン・ウィットフィールド、そして『八百万の死にざま』で出会い、その後何作かに顔を見せ、『死者との誓い』で病に倒れて自ら尊厳死を選ぼうとする、スカダーのAA仲間にしてかつての恋人、ジャン・キーン。

そこで気になるのがシリーズの今後である。過去をこれほど念入りに振り返っているというのは何やら意味ありげだ。作者ブロックは本書で本シリーズにピリオドを打とうとしているのではないか。

シリーズが途絶えそうになったことはこれまでにもあった。『八百万の死にざま』のあとと『聖なる酒場の挽歌』のあとだ。二度とも次作が書かれるまでにかなりの時間を要した。が、それはともにいわゆる生みの苦しみが長かった結果で、これら二作でシリーズを打ち切りにしようとしたわけではなかった。本書にはこれら二度のときとは異なる作者ブロックの意思表明のようなものが感じられる。

確かにスカダーも今年六十八歳、すでに半ば隠居の身だとは本書でも言っているが――また、長年のシリーズ読者としてはスカダーに平穏な老後を過ごさせてあげたい気もするが――せめてあと一作あることを祈りたい。


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