容疑者 容疑者
著作名
容疑者
著者
マイケル・ロボサム
ジャンル
サスペンス
星の数
★★★★
出版社
集英社文庫
原作出版
2004
備考
訳者あとがきより

主人公はロンドンに住む四十二歳の臨床心理士ジョー・オローリン。美しい妻と愛らしい娘を持ち、仕事も順調だったが、ある日、パーキンソン病に冒されていることを告知され、幸福の絶頂からどん底へ突き落とされる。だがジョーに襲いかかる不幸はそれだけではなかった。殺人事件の捜査に協力したところ、被害者がかつての患者だったことが判明し、やがてみずからが“容疑者”と見なされてしまう。何者かが自分を落としいれようとしていると考えたジョーは、孤立無援のなか、姿の見えない犯人を追っていく。

あらぬ疑いをかけられた主人公がみずから犯人を捜そうとする筋立ては、とりたてて目新しいわけでもない。実のところ、作者はヒッチコックの<北北西に進路を取れ>に触発されてこの作品を書いたとインタビューで語っているし、劇場映画とTVシリーズの両方で人気を誇った<逃亡者>を思い出す人もいるだろう。(中略)

<北北西に進路を取れ>のゲーリー・グラントや<逃亡者>のハリソン・フォードが超人的な体力と才覚で危機をつぎつぎ切り抜けたのに対し、こちらの主人公はあくまで生身の人間であり、タフなヒーローにはほど遠い。パーキンソン病で体が思うように動かないばかりか、弱気になったり、愚痴をこぼしたりもする。心理学の専門家なのに自分の心の葛藤には対処できず、病気を宣告されたときも、妻の待つ我が家へ帰れずに元娼婦の女友達と一夜をともにしてしまう。簡単に言えば、どこにでもいる非力な小市民だ。けれども、そんな中年男が窮地に陥り、意に反してますます深みにはまりながらも、勇気を奮い起こして愛する者のために戦う等身大の姿に、多くの読者が共感を覚えるのではないだろうか。

また、主役のみならず、脇役ひとりひとりに至るまでもが(殺害された元患者のキャサリンですら)立体感のある存在として描かれている。ジョーを執拗に疑い続けるルイス警部は、時代から取り残されつつある叩きあげの刑事で、きらわれ者の役どころのはずだが、エリートの主人公と好対照をなし、その豊かな人間味がどことなく憎めない。美しい妻ジュリアンは、夫から娼婦と関係を持ったことを打ち明けられたとき、浮気そのものよりもコンドームを使わなかったことに腹を立てるという、現実的でたくましい女性だ。長年の確執がある厳格な父親も、医者の妻として我を捨てて夫に尽くしてきた母親も、息子のジョーが知らなかった意外な一面をときに見せる。とりわけ、子供のころからのコンプレックスの対象であった父親――“神の主治医”――との関係がどう変化していくのかは、読みどころのひとつである。

フィクションでありながら、現実界のさまざまな深刻な問題をテーマにしている点にも言及すべきだろう。ジョーは自分への容疑を晴らすべく過去を調べはじめるのだが、その過程で明らかにされるのは、臨床心理士としてかかわってきた患者たちの暗い過去――レイプ、暴行、小児虐待などのきびしい現実だ。読者はジョーの目を通して、虐げられた人々の深い心の傷を目のあたりにする。(以下略)


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