エミリーの不在エミリーの不在
著作名
エミリーの不在
著者
ピーター・ロビンスン
ジャンル
警察ミステリ
星の数
★★★
出版社
講談社文庫
原作出版
2000
備考

「あの子を見つけ出してほしい」英国北部の田舎町で犯罪捜査部首席警部を務めるアラン・バンクスは、家出した上司の娘エミリーの所在を追い、ロンドンの退廃的区画に足を踏み入れた。
手がかりは、彼女があられもない姿を晒しているポルノサイトのみ―。

ようやくエミリーを探し出し無事を確かめたバンクスに、相次いで二つの知らせが届く。
町の札付きが散弾銃で殺され、一方ではエミリーの友人が不審な死を遂げていた。
一見無関係な事件がやがて結びつくとともに新たな犠牲者が生まれる――。
私生活でも苦悩を深めるバンクスがついに掴んだ驚愕の真相とは。

訳者(野の水生)あとがきより

英国ヨークシャーを舞台とする主席警部アラン・バンクスのシリーズも、この春に上梓された最新作 Piece of My Heart で、はや十六作を数えます。欧米では、人気を誇る長寿シリーズ。本作『エミリーの不在』は、その十一作目にあたります。第一作『罪深き眺め』では、よき夫、よき父親とも見えた三十代のバンクスも、本作では四十代なかばとなり、手の内にあった二人の子供はすでに巣立ち、一年前の秋の日には、愛する妻のサンドラにまで、突然のようになぜか去られて、いまや谷間の古い田舎家(コテジ)で独り暮らしの境遇です。職場の環境も変わりました――よくないほうへ。しょんべん小僧(ジミー・リドル)こと州警察本部長ジェレミア・リドルが登場してからというもの、とにかく毛嫌いされてきて、やりにくいことこのうえなく、ついには一発ぶんなぐり、以来、窓際でデスクワークをあてがわれ、前作『渇いた季節』ではひさかたぶりに事件を担当したものの、その後またしても、現場からは退けられる不遇の日々。よき理解者であった上司のグリソープ警視でさえ、力になってはくれません。

そんなバンクスを、十一月の嵐の晩、ジミー・リドルが自宅に呼び出し、思いがけず願い事を託してきます。家出した十六歳の娘エミリーを、内密に探し出してはくれまいかと。この物語の、それが事の起こりでした。奔放な娘エミリー。人生に飢えているかのような、美しい、うぶで早熟な十六歳。秘密の交わり。ひそかな絆。生涯無縁であったはずのリドル家に、その重たすぎる確執に、バンクスは否も応もなくからめとられてつぎつぎと苦悩を背負うことになり、別個と思えた陰惨な事件までもが、じつは同一次元にあって、なおいっそうの暗い影を落としはじめる……。

一話完結の謎解きのおもしろさもさることながら、このシリーズの大きな美点は、主人公バンクスをはじめ、さまざまな登場人物の心の動きを描いてゆく丹念な筆づかいにあると言えます。ところが、これまでたびたび登場しながら、かつて一度も、丹念には描かれぬ者がおりました。リドル警察本部長です。バンクスを忌み嫌い、いじめるだけの役を振られ、やや戯画化されていた本部長。そのリドルが、本作では、苦悩するひとりの男、ひとりの人間に、痛ましくも「昇格」します。加えて、バンクスも、家庭崩壊を機に前作から顕著であった内省をさらに深め、なにかにつけて、すでにいない者、すでにない昔を思って悶々とし、また、事件をめぐっては、ゆきつもどりつの、およそあざやかとは言えぬ推理をくりかえし、尋問や事情聴取では、横暴とも思えるほどの執拗さを見せ、前作でめぐりあった部長刑事アニーには、別れたはずが未練をひきずり、嫉妬の炎など燃やしてしまい、読者に向けては妄想までさらけだしてくれるので、場面によっては息苦しく、ときにあわれを催すほどです。などと申し上げては、バンクスと初対面の読者には敬遠されてしまうでしょうか。それでもなお、他者を思いやる気持ちの強い、繊細な、仕事のできる、等身大の魅力にあふれたひとなのです。

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