利腕
著作名
利腕
著者
ディック・フランシス
ジャンル
競馬ミステリ
星の数
★★★
出版社
ハヤカワ文庫
原作出版
1979
備考

勝つことがすべてである。勝つことが私の役目だ。レースに出場しているのはそのためである。自分が望んでいることだ。そのために自分は生まれてきたのだ――。

落馬で左手が利かなくなったかつての名騎手シッド・ハレー。一度は死人同然であった彼が競馬界専門の有能な調査員として甦ったのは、この強靭な信念があったからである。彼の粘り強い調査は、競馬界にうごめく犯罪者たちにとって恐るべき脅威となっていた。ハレーは必ず探り当てる、と。

その彼に二件の調査依頼がきた。一つは厩舎オーナーの妻からの懇願。本命とされた所属馬が次々と原因不明の負け方をするという。「夫は怯えてるの。何かが行われている。わたしにはわかっている。今度はなんとしても勝たなければならないのよ。あなたならやれるわ。わたしは確信しているわ」。

もう一件は、不正工作の疑いがあるシンジケートの調査であった。しかもその動きは競馬界本部内にあるという。ハレーは不正を摘発する役目の保安部そのものを調査しなければならなくなってしまった。

そんな折も折、ハレーの敬愛する前妻の父から、もう一つ厄介事がもちこまれる。前妻が詐欺事件に巻きこまれ、告訴されそうだという。しかし、救いの手を出そうとするハレーに対して、別れた妻はことごとく辛く当たってハレーを暗澹とさせるのだった。

相棒チコと共に調査を開始したハレー、その彼を待っていたのは何者かによる誘拐であった。そして脅迫。
「手を引くんだ。約束を破ったら必ず見つけて右手をふっとばす」
猟銃をまともな方の右手首に押し付けた男の声は物静かで真剣であった。恐怖で体じゅうが汗まみれになった。これまでの人生で経験したあらゆる恐怖も、今のこの瞬間に比べたら物の数ではない。ハレーは屈した。まともな手を失うことには耐えられない。男にいわれるままに彼はイギリスを後にした。

ハレーの胸には絶望とわびしさと罪の意識が刻み込まれていた。――自分が失ったものは、一本の手よりはるかに貴重なものではあるまいか。帰らなければならない。帰るとしたら非常な努力が必要だ。その努力ができなければ帰っても意味がない。ヒースロー行きの航空券を買うのに、ハレーは孤独な長い時間を要した。


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