長いお別れ
著作名
長いお別れ
著者
レイモンド・チャンドラー
ジャンル
ハードボイルド
星の数
★★★★★
出版社
ハヤカワ文庫
原作出版
1953
備考

私が始めてテリー・レノックスに会ったとき、彼は<ダンサーズ>のテラスの前のロールス・ロイス“シルヴァー・レイス”のなかで酔いつぶれていた。駐車場から車を出してきた駐車係は、彼の左足がぶらぶらはみだしているので、ロールス・ロイスのドアを閉めることができなかった。顔は若々しく見えたが、髪は真っ白だった。

彼の隣には若い娘が座っていた。
赤い髪が美しく、唇にほのかな微笑をうかべて、ロールス・ロイスがふつうの車に見えそうな青イタチの外套を肩にまとっていた。

「酔っぱらうと、イギリス人みたいに言葉がていねいになるのよ」。彼女はステンレス・スティールのような声でいい、「迷子の犬と同じ。家を見つけてやってちょうだい」と、彼を私の腕にあずけて車を出した。尾灯ががサンセット・ブールバードに溶けて消えた。

酔った男とかかりあうのはいつでも間違いだ。だが何かが、心をとらえて離さなかった。私は鉛の袋のように重たくなった白髪の青年を抱きおこし、オールズモビルに乗せて私の家に連れ帰った。

彼は名をなのり、コーヒーをブラックでいただけないかといった。私がコーヒーを持っていくと、カップの下に皿をそえて、ゆっくりすすった。

「ぼくはどうしてここにいるんです」
私が教えてやると、彼はものなれた口調で礼をいうのだった。

その夜から約半年のあいだに、私はテリー・レノックスと何度かバーで顔をあわせた。そして六月の早朝、彼はトップコートの衿をたて、帽子のひさしをまぶかに下げて、私の前にあらわれた。
その手は拳銃をにぎりしめていた。


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