タイタニックを引き揚げろ
著作名
タイタニックを引き揚げろ
著者
クライヴ・カッスラー
ジャンル
冒険小説
星の数
★★★★★
出版社
新潮文庫
原作出版
1981
備考
世界の冒険小説総解説より

1912年4月、折りしも北大西洋上をニューヨークへ向かう処女航海中の豪華客船が氷山にふれ、零下2度の海中に沈んでいった。それが、タイタニック号の最後だった――。
 75年後、アメリカ合衆国はあらゆる核兵器を無効にする新システム――シシリアン計画を開発した。だが、そのシステムの原料となる放射性物質ビザニウムがどうしても見つからない。残る可能性はソ連領のノバヤゼムリヤ島だった。
 鉱物学者のコブリンが調査のため同島に潜入した。瀕死で脱出してきたコブリンによると、かつてビザニウムを掘り出したらしい鉱山跡を発見したが、今はもぬけの空だった。
「コロラドの連中がビザニウムを掘り出し、その後、北極圏のいずこともなく姿を消したのです」
 鉱山に残された道具類はどれもアメリカのものだったばかりでなく、見つかった死体の近くにあったのは、1911年11月17日付のデンバーの新聞だったとコブリンは報告した。しかし、脱出の時に失くしてしまったという。一体、なぜ、誰がそんな昔に……。
 残された新聞の当時のコピーを手にいれ、残された採掘機械の製造会社の買い手を調べた。買い手はアメリカ政府だった。また、新聞には当地の鉱山で爆発事故が起こり、鉱夫九人が絶望であると報じられていた。
 シシリアン計画の責任者シーグラムはノバヤゼムリヤの廃鉱にあった死体の陸軍記録を調べるうち、一人の男の未亡人が生存しており、死ぬまで遺族年金が支払われることになっていることがわかった。まるで高い評価を受けた兵士のような、その男ホバートはなぜノバヤゼムリヤへ行ったのか……。
 また、鉱山事故はでっち上げで、鉱夫ら九人は事故で死んだように見せかけて、どこかへ行ったらしいということもわかった。
 ホバート未亡人に会ったシーグラムにわかったのは、彼女の夫がれっきとした鉱山技師であり、しかも事故で死亡したことにしてヨーロッパに渡ったことである。
 すべてはアメリカ陸軍がからんでいると踏んだシーグラムは国防総省文書館にある機密資料の中から、稀少元素ビザニウムがいかに価値があるかという資料と鉱山事故計画の中心人物と見られるブルースターの日記を見つけだした。
 そこには驚くべき事実が書かれていた。すべては、ロシア皇帝のために鉛鉱山を開くべくシベリアに渡ったブルースターの船が、ノバヤゼムリヤの北の島で座礁したことからはじまった。救助船を待つ間、彼はこの島を調べ、奇妙な鉱物を見つけてアメリカに持ち帰った。その標本を分析してもらうためにフランスに送ったのが失敗だった。フランス政府はラジウムに似た、しかしけたはずれに高価な元素を、ブルースターを利用して自分たちのものにしようと考えたのだ。
 一方、ブルースターからその情報を伝えられたアメリカ陸軍省は、当然それを自国のものにしようと計画した。だが彼らには十分な予算がなかった。そこでブルースターに、フランス側の連絡にのったふりをしてビザニウムを掘り、運び出させたあと横取りしようと考えたのだ。鉱山の偽装事故もフランス側の考えであり、ノバヤゼムリヤで使った採掘工具はアメリカ製でしかもアメリカ政府になりすまして注文したのもフランス側だった。
 コロラドの豪胆な炭鉱夫たちも、この極北の採鉱は苦しかった。コブリンの見つけた死体のホバートも、吹雪の中で道に迷って死んだものだった。零下13度の中、全員凍傷に悩まされながらもついに彼らはビザニウムを掘りだした。そして極地探検をよそおった陸軍省の船に積み込むと、フランス側からのさまざまな妨害にあいながらも、ようやくスコットランドのアバディーン港に逃げ込んだ。
 だが、当地のフランス領事館が彼らの到着を報告したため、強力な略奪グループがやって来て次々に襲いかかり、ついにサウサンプトンの遠洋航路用桟橋まで生き残って鉱石を運んだのはホールとブルースターのたった二人だった。そしてブルースターはホールを残し、たった一人でビザニウムをアメリカに運ぶべく、ホワイト・スター汽船の遠洋航路客船で旅立った。
 時に1912年4月10日……だが、この巨大な蒸気船タイタニック号はその旅をまっとう出来なかった……。

話を聞き終わったアメリカ大統領の手は細かくふるえていた。
「運命はコロラドの連中に残酷だった。彼らは大洋の真只中に沈む運命にあった船に鉱石を積み込むために、血を流し、死んでいったのだ……」
 アメリカ政府はタイタニックを引き揚げる決心をした――。
 引き揚げの責任者は、海中海洋機関(NUMA)の特殊任務の責任者ダーク・ピットに決まった。問題は、タイタニックが広い北大西洋のどこに沈んでいるかわからないことだった。
 一方、アメリカが何かを探し廻っていることは、ソ連側にもわかっていた。ことにソビエト海軍情報部のブレフロフ大佐のもとには、今回の計画のかなり早い時期から部下マガーニン大尉によって情報がもたらされていた。しかし、その動きの本質はまだわかっていなかった。
 その頃大統領は、CIA長官とその部下に苦しい決断をせまられていた。極秘であったはずの「シシリアン計画」がソ連に潜入しているスパイから報じられたのだ。二人はこれを利用してソ連の情報収集機関を掌握するために、わずかな情報を握らせて餌に食いつかせたいという。しかたなく大統領は「シシリアン計画」――タイタニック引き揚げ計画の一部漏洩を認めたのだった。
 アメリカ東岸から北大西洋へと海流を調査していたNUMAの深海潜水艇が、1万4千フィートの深海でじょうごのような形をした金属を見つけた。腐食と汚れを落とすと、それはまぎれもなくタイタニックが沈む瞬間まで乗客を勇気づけるために吹かれていたコロネットだった。豪華客船もその近くに沈んでいるにちがいない。
 ビッグT――タイタニック引き揚げ作戦がスタート・ラインについた頃、ソ連書記長は海軍情報部、KGBんどのスタッフとともに、アメリカの新防衛機構の出力源である元素を積んでいるらしい沈没客船引き揚げ作業の妨害工作について話し合っていた。その席上、ブレフロフ大佐は得意気に一つの報告をした。すでにNUMAの引き揚げ作業員の中に二名の工作員を忍び込ませてあると。その上、たとえアメリカがあの巨船を引き揚げられたとして、そのあとでビザニウムを強奪するすばらしい計画があると。
 そればかりではなかった。引き揚げ作業海域には時ならぬハリケーンが襲来していた……。


タイタニック号

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